Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 詩編69編1~13節

聖書の黙想と適用 詩編69編1~13節(新共同訳 旧約pp.901-902)

(1) 神よ、私を救って下さい(1~7節)

 ダビデは主なる神に、自分が苦難の中にあることを訴え、「神よ、わたしを救ってください」(2節)と祈った。「叫び続けて疲れ、喉は涸れ/わたしの神を待ち望むあまり/目は衰えてしまいました」(4節)という表現は、主なる神の救いを求める彼の切なる心情をよく表している。
 ダビデは、自分が直面している苦しみについて、「深い沼にはまり込み」、「足がかり」もなく、「大水の深い底にまで沈み」、「奔流」が自分を「押し流し」ているかのようであると述べている(3節)。これらは自分では到底脱出することの出来ない絶望的な危機の中にあることを強調する表現である。「理由もなく」ダビデを「憎む者」は、彼の「頭の髪よりも数多く」、「いわれなく」彼に「敵意を抱く者/滅ぼそうとする者は力を増して行」った(5節)。
 それに対し、ダビデは、主なる神の御前に自分の「愚かさ」、「罪過」(6節)を認めた上で、「万軍の主、わたしの神よ/あなたに望みを置く人々が/わたしを恥としませんように。イスラエルの神よ/あなたを求める人々が/わたしを屈辱としませんように」(7節)と祈っている。彼は主なる神を慕い求める人が自分の故に卑しめられないように願った。私達は主なる神に切に祈り求めても、すぐに答えられない時、簡単に落ち込んだり、失望していないだろうか。

(2) 主なる神の故に嘲られるダビデ(8~13節)

 ダビデは、主なる神に対し、自分が「嘲られ」、「屈辱」を受けてきたのは、「あなたゆえ」であると述べている(8節)。「神殿に対する熱情」(10節)、即ち主なる神に対する熱心さは、ダビデを「食い尽く」さんばかりであった。
 だが、ダビデが「断食して泣」(11節)いたり、「粗布を衣とす」(12節)る時、多くの人々が彼を嘲った。母を同じくする自分の「兄弟」さえ、彼を「失われた者」、「異邦人」のように見なし、除け者にした(9節)。「町の門に座る人々」も「強い酒に酔う者ら」も、皆一様にダビデを「非難し」た(13節)。
 ダビデは、敵に対しては何の咎もなかったが、主なる神の御前では自分が罪人であることを認め、徹底して自らを低くした。そして、自分を嘲る人々に直接対抗する代わりに、主なる神の慰めを待ち、主なる神が彼らを懲らしめて下さることを切に求めた。