Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 詩編69編30~37節

聖書の黙想と適用 詩編69編30~37節(新共同訳 旧約pp.903-904)

(1) 苦痛の中でも主なる神の御名を讃美する(30~33節)

「わたしは卑しめられ、苦痛の中にあります」(30節)とダビデは告白する。敵対者の嘲りと迫害によって彼は苦しみの中にあった。それに対し、ダビデは、これまで自分の痛みを主なる神に吐露し、自らの救いと敵に対する裁きを主なる神に求めてきた。
 しかし、今、彼は「神の御名を賛美してわたしは歌い/御名を告白して、神をあがめます」(31節)と歌っている。また、主なる神は、「角をもち、ひづめの割れた牛」(32節)のような高価ないけにえよりも、感謝の心をもって献げる讃美を「喜ばれる」と述べている。これは礼拝者の真実な心と感謝こそ礼拝に最も欠かせない要素であることを意味する。
 ここでダビデは、敵に勝利した後ではなく、その前に主なる神を讃美している。苦難の中にありながら、彼は、主なる神の救いの恵みを喜び、主なる神を讃美した。讃美と感謝は救われた者の喜びであり、特権である。そのようなダビデの姿勢は、現在同様の苦難の中に置かれている人々にとっての信仰の模範である。葛藤の中にあっても、何かが上手く行かなくても主なる神を讃美しよう。今私達と共にいて下さる主なる神を讃美しよう。

(2) 主なる神の救いを確信する(34~37節)

「貧しい人よ、これを見て喜び祝え」(33節)とダビデは呼びかける。「貧しい人」というのは、物質的に困窮している人々に留まらず、「心の貧しい人々」(マタイによる福音書5章3節)、即ち切なる渇きをもって「神を求める人々」(33節)をも指す。彼は「主は乏しい人々に耳を傾けてくださいます」(34節)と述べ、そのような人々に主なる神が「健やかな命を与え」(33節)て下さることを確信していた。
 また、ダビデは、主なる神が「主の民の捕われ人らを決しておろそかにされない」(34節)ことを信じていた。「主の民の捕われ人」とは、「義のために迫害される人々」(マタイによる福音書5章10節)、即ち、主なる神の栄光のために迫害を受け、主なる神の義のために苦難に遭っている者を指している。それ故、ダビデは「天よ地よ、主を賛美せよ/海も、その中にうごめくものもすべて」(35節)と呼びかけ、主なる神への讃美が天地に響き渡ることを願った。
 更に、ダビデは「神は必ずシオンを救い/ユダの町々を再建してくださる」(36節)と歌っている。「シオン」とは神の民イスラエルを指す。それは主なる神がご自分の民をあらゆる危険と苦難から救い、守って下さるという信仰告白であった。そして、「主の僕らの子孫はそこを嗣業とし/御名を愛する人々はその地に住み着く」(37節)とダビデは期待した。彼は、イスラエルの民が代々とこしえに主なる神を礼拝し、約束の地に安らかに住むことを願った。