Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 ヨハネの手紙一4章7~21節

聖書の黙想と適用 ヨハネの手紙一4章7~21節(新共同訳 新約pp.445-446)

(1) 神は愛(7~12節)

 ヨハネは、3つの理由で「互いに愛し合いましょう」(7節)と述べ、私達が互いに愛し合う必要性を強調した。
 第一に、「神は愛」(8節)であり、主なる神のご性質が隣人への愛を要求している。「愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っている」(7節)とヨハネは言う。主なる神を知っている人は主なる神の愛を経験している。自分が主なる神によって愛されていることを知る時、私達はその愛をもって主なる神が愛しておられる隣人を愛することが出来るようになっている。私達が隣人を恐れ、愛することに失敗するのは、自分自身の不完全で不十分な愛だけで愛そうとするからである。
 第二に、主なる神は私達を愛して下さるが故に、「わたしたちが生きるようになるため」に「独り子を世にお遣わしにな」った(9節)。「わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしにな」(10節)ることによって、「神の愛がわたしたちの内に示され」(9節)た。イエス・キリストにおいて現された主なる神の愛こそ真の愛である。
 第三に、「わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされている」(12節)。主なる神は、私達が互いに愛し合うことを通して、今も愛の御業を続けておられる。

(2) 神を愛する人(13~21節)

「御父が御子を世の救い主として遣わされたこと」(14節)、「イエスが神の子であることを公に言い表す」(15節)時、主なる神は「御自分の霊を分け与えてくださ」(13節)ることによって「その人の内にとどまってくださり、その人も神の内にとどま」る(13節、15節、16節)。イエス・キリストを主と信じることによって、主なる神との交わりがなされる。私達が主なる神と交わりながら、救いの希望を持って生きることが出来るというのは大きな祝福である。
 主なる神は昨日も今日も変わることなく愛そのものである。主なる神との交わりの中に留まりながら、主なる神の愛を認識出来ないというのは有り得ないことである。主なる神の「愛がわたしたちの内に全うされている」ことによって、私達は「裁きの日に確信を持つことができ」(17節)、また兄弟を愛することが出来る(19節)。「愛には恐れがな」く、「完全な愛は恐れを締め出」すからである(18節)。
「神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です」(21節)とヨハネは言う。主なる神への愛と隣人への愛は分離されたものではない。両者は密接に結びついており、相互に作用し合う。私達が「目に見えない神を愛すること」は、「目に見える兄弟を愛」することによって具体的に実現される(20節)。そして、主なる神の愛をもって兄弟を愛する時、愛の共同体が形成され、この世の悪しき力と戦って勝利することが出来る。