Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 ヨハネによる福音書1章9~18節

聖書研究 ヨハネによる福音書1章9~18節(新共同訳 新約p.163)

(1) 神の子となる資格(9~13節)

 主なる神の「言」(10節)であるイエス・キリストが世に来られた時、人々の反応は2つに分かれた。
 大多数の人々は「言を認めなかった」(10節)。イエス・キリストは、「まことの光」(9節)であられ、「すべての人を照らす」(9節)ために「自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」(11節)。彼らは自分を造った方を知ることも受け入れることもなかった。イエス・キリストを前にしても、暗闇にしがみ付くならば、私達は自分が願う通りに闇と罪の中に留まるしかない。
 それに対し、イエス・キリストを「受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格」(12節)が与えられる。イエス・キリストを受け入れることは、「その名を信じる」こと、即ちイエス・キリストが主なる神であり、その言であり、命であり、光であると受け入れることである。
 私達は自分の努力や意志によって神の子とされるわけではない(ヨハネによる福音書3章5節)。「神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新たに生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです」(テトスへの手紙3章5節)。創造が全て主なる神の御力によってなされたのと同様に、救いも主なる神の御心による恵みの御業である。

(2) 人間になった主なる神の「言」(14~18節)

 主なる神の「言」であるイエス・キリストは「肉」、即ち人間となられた(14節)。それ故、イエス・キリストは主なる神としてのご性質と人間としてのご性質を両方持っている。完全に神であると同時に、完全に人間である。「父のふところにいる独り子である神」(18節)イエス・キリストは、人間の弱さ、苦痛、死などをご自身と結び合わされ、それを根本的に解決する道を開かれた。
 そして、イエス・キリストは「わたしたちの間に宿られた」(14節)。「宿られた」と訳されているギリシア語ἐσκήνωσεν [eskēnōsen]は、「天幕を張る」「幕屋に住む」という意味の動詞σκηνόω [skénoó]の不定過去時制である。出エジプトの後、主なる神は荒れ野でイスラエルの民の建てた幕屋に住まわれた(出エジプト記33章9節、40章34~35節)。ここでヨハネは、臨在の幕屋を念頭に置きながら、主なる神の「言」が人間となられたことを語っている。
 ヨハネイエス・キリストの中に「父の独り子としての栄光」(14節)を見た。「いまだかつて、神を見た者はいな」かったが、「この方が神を示された」(18節)。「恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた」(17節)とヨハネは信仰を告白する。イエス・キリストを受け入れることによって、私達は「この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受け」(16節)ることが出来る。