Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 詩編71編1~11節

聖書研究 詩編71編1~11節(新共同訳 旧約pp.904-905)

(1) 主よ、御許に身を寄せます(1~4節)

 詩人は主なる神に「とこしえに恥に落とすことなく/恵みの御業によって助け、逃れさせてください。あなたの耳をわたしに傾け、お救いください」(1~2節)と祈り求めた。この時、詩人は敵から命を狙われ(10節)、危機の中に置かれていた。詩人の敵は、主なる神に「逆らう者」であり、「悪事を働く者、不法を働く者」であった(4節)。
 自分を滅ぼそうとする敵に囲まれる中で、詩人は「常に身を避けるための住まい、岩となり/わたしを救おうと定めてください」(3節)と主なる神に依り頼んだ。彼は主なる神に対し「あなたはわたしの大岩、わたしの砦」(3節)と告白している。ここで詩人は主なる神の外には何にも頼っていない。彼自身にも他の人間にもこの世のものにも富にも依り頼んでいない。ただ主なる神だけに心からの信頼を置いた。主なる神こそ、彼を保護し、彼を救い、彼の平安の源であると確信していた。
 使徒パウロも「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」(コリントの信徒への手紙二4章8節)と述べている。主なる神は、私達を死と思い煩い、恐れと苦しみから自由にして下さる方である。

(2) 私は常にあなたを讃美します(5~11節)

 詩人の敵は、彼のことを「話し合い」、彼の命を狙って「共に謀り」(10節)、「神が彼を捨て去ったら、追い詰めて捕らえよう。彼を助ける者はもういない」(11節)と企んだ。
 敵の迫害に対し、詩人は「主よ、あなたはわたしの希望。主よ、わたしは若いときからあなたに依り頼み/母の胎にあるときから/あなたに依りすがって来ました」(5~6節)と言う。主なる神は彼を母の胎で組み立てられる前から聖別された。そして、彼を守り、その避け所となられた。今までもそうであったから、「老いの日にも見放さず」、「力が尽きても捨て去らない」(9節)と信じていた。
 それ故、詩人は敵の誹謗や嘲笑に対して不安や恐れを抱くことはなかった。寧ろ彼は「わたしの口は賛美に満ち/絶えることなくあなたの輝きをたたえます」(8節)と述べ、主なる神を讃美し(6節)、主の栄光を仰いだ。
 私達は主なる神の約束を信じるが故に希望を得ることが出来る。現実が暗く見えても、主なる神の言葉は私達に力を与えてくれる。そして、主なる神を待ち望み続ける者には必ず救いの時が訪れる。イエス・キリストは「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(マタイによる福音書24章13節)と言われた。主なる神の言葉は私達を励ます光であり、私達を導く羅針盤である。