Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 エフェソの信徒への手紙6章10~17節

聖書研究 エフェソの信徒への手紙6章10~17節(新共同訳 新約p.358)

(1) 主なる神に依り頼んで悪霊と戦う(10~13節)

 イエス・キリストは悪魔の試みによって公生涯を始められた(ルカによる福音書4章1~13節)。そして、十字架で悪魔に勝利された。イエス・キリストは、現在王の王、主の主として天地万物を支配しておられる。しかし、悪魔とその勢力の残党が活動を続け、イエス・キリストの主権に敵対している。
 キリスト者の生活は戦いである。そして、その戦いは決して曖昧なものではない。キリスト者が何故戦わなければならないのか、誰と戦うべきであるのかははっきりしている。この戦いは、キリスト者が世界の全ての国々、人間の活動のあらゆる領域をイエス・キリストの支配の下に置くことと密接な関係がある。そして、戦う相手は「血肉」ではなく、「支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊」である(12節)。悪霊に立ち向かうことによって神の国を広げることが出来る。
 悪魔の攻撃は多岐にわたり、それはいつどこにおいても起こり得る。キリスト者は、主なる神の敵との戦いの現実を自覚し、目を覚ましていなければならない。
 その上で、パウロは「主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい」(10~11節)と述べ、隙のないように全身を武装することを教えた。主なる神の武具を身に着ける時、キリスト者は「邪悪の日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができる」(13節)。

(2) 主なる神の武具を身に着ける(14~17節)

 強い敵である悪霊に立ち向かうためには、主なる神に依り頼むことが必要である。その時、キリスト者は悪霊との戦いに勝利出来る。
 パウロは、兵士が戦場に出るためにあたって装備を一つ一つ確認するように、夫々の武装について説明している。キリスト者が身に着けるべき神の武具は主なる神の力に満ちている。
 第一に、「真理」は兵士の服と装備がずれないように固定する「帯」のようなものである(14節)。出陣に先立って、腰に帯を締めることは最も根本的な備えである。キリスト者は、戦いのための備えとして、真理に聴き、真理に立ち、真理を行わなければならない。
 第二に、「正義を胸当てとして着け」(14節)ることは、キリスト者の存在と生き方に深く関わってくる。キリスト者は、自らの罪を悔い改めた上で、戦いの場に出て行かなければならない。
 第三に、「平和の福音を告げる準備」がいつでも出来ていることは「履物」のようなものである(15節)。キリスト者は、主なる神から命令を与えられた時、いつでもどこでもそれに従って動くことが出来るよう求められている。
 第四に、「信仰」は悪魔や悪霊が私達に向かって放つ「火の矢をことごとく消すことができる」「盾」である(16節)。どれほど多くの矢が飛んで来ても、堅い信仰の盾があるならば、それを弾き飛ばすことが出来る。私達は、信仰によって言葉や考えや行いを吟味し、聖書的ではないものを全て払い落とし、自分の内側に入ってこないようにする必要がある。
 第五に、「救い」は頭を保護する「兜」である(17節)。救いの確信がなければ、一撃が致命傷になる。救いは、自分で備えることは不可能であり、一方的に与えられるものである。私達が救いに対する確信に立つ時、主なる神は信仰の戦いに勝利出来るように働いて下さる。
 そして、第六に、キリスト者は「神の言葉」(17節)という誰も打ち勝つことの出来ない強力な武器を持っている。これは、「霊の剣」、即ち、人間が作り出したものではなく、聖霊が与えて下さるものである。主なる神の言葉以上の権威はこの世に存在しない。だから、それを突き付けられたら、悪霊といえども降参するしかない。主なる神はご自身の力によって私達を日々強くして下さる方である。