Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 箴言3章1~12節

聖書研究 箴言3章1~12節(新共同訳 旧約p.993)

(1) 慈しみとまことが離れないように(1~4節)

「主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る」(1章7節)とソロモンは言う。その上で、彼は、自分の「教えを忘れ」ず、自分の「戒めを心に納め」るならば(1節)、「命の年月、生涯の日々は増し/平和が与えられるであろう」(2節)と述べている。イスラエルの民の間で長寿は主なる神が与える最も大きな祝福の一つと考えられていた。また、「平和」は主なる神の言葉に従う中で得られる満ち足りた状態を意味した。
 また、ソロモンは「慈しみとまことがあなたを離れないようにせよ」(3節)と諭している。「慈しみとまこと」は、人間に対する主なる神の愛と真実、或いは主なる神と隣人に対する私達自身の愛と真実を指していると理解出来る。このような慈しみとまことを「心の中の板に書き記し」、それに基づいて歩む時、私達は「神と人の目に/好意を得、成功する」(4節)とソロモンは説く。

(2) 主を畏れ、悪を避けよ(5~12節)

 ソロモンは、「自分自身を知恵ある者と見」(7節)、「自分の分別に頼」(5節)ることと、「心を尽くして主に信頼」(5節)することを対照的に表現している。「主を畏れ、悪を避け」(7節)、主なる神に依り頼む時、主なる神は私達の「道筋をまっすぐにしてくださ」(6節)り、私達は主なる神の守りの中で歩むことが出来る。
 また、「常に主を覚えてあなたの道を歩け」(6節)という表現には、主なる神を表面的に知ることに留まらず、主なる神との交わりを持つという包括的な意味がある。即ち、主なる神が存在するとただ認めるだけでなく、主なる神と人格的に出会うことを意味する。
「かわいい息子を懲らしめる父のように/主は愛する者を懲らしめられる」(12節)方であり、ご自分が子として受け入れる者に試練を与えることがある(ヨブ記5章17~18節、ヘブライ人への手紙12章5~6節)。しかし、そのような中にあっても主なる神を仰ぎ見、「それぞれの収穫物の初物をささげ/豊かに持っている中からささげて主を敬」(9節)うならば、主なる神は私達の「倉に穀物を満たし/搾り場に新しい酒を溢れさせてくださる」(10節)。それ故、「主の諭しを拒むな。主の懲らしめを避けるな」(11節)とソロモンは言う。