Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 コリントの信徒への手紙一2章1~5節

聖書の黙想と適用 コリントの信徒への手紙一2章1~5節(新共同訳 新約pp.300-301)

(1) 十字架につけられたキリストを宣べ伝える(1~2節)

 パウロイエス・キリストの福音を宣べ伝えるのに「優れた言葉や知恵を用い」(1節)なかった。福音それ自体に途轍もない力があったからである。とはいえ、それは誰でもすぐに分かるものではなかった。それ故、パウロイエス・キリストにおける主なる神の救いの御業を「神の秘められた計画」(1節)と呼んでいる。
イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト」(2節)は、人々の目には失敗したかのように見えた。自分を殺そうとする人々にあっさり捕まった。弟子達は皆裏切ったり、逃げたりした。そして、その日のうちに十字架で処刑された。しかし、この十字架こそが全ての人に救いの道を開く主なる神の知恵であった。
 神の国は、人間的な方法によって拡大するものではなく、天から下ってくるものである。私達は、格好良いこと、話が上手いこと、賢いことが、神の国の宣教をより有利にすると考えてしまう。しかし、そのようなことは福音の証しに何の影響も及ぼさない。たとえ私達の作為によって人を変えたとしても、それは回心ではない。人が救われるのは、私達が「イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト」をストレートに伝えることによってである。その時、聖霊が働いて下さり、その人を変える。福音は人間の知恵、手腕、才能ではなく、主なる神の力である。だから、パウロはひたすら福音だけを伝えた。

(2) “霊”と力の証明による宣教(3~5節)

 パウロの宣教は最初から最後まで聖霊によって導かれた。第2回宣教旅行もそうであった。聖霊パウロ達が小アジアで「御言葉を語ること」を禁じ、ヨーロッパに向かわせた(使徒言行録16章6~10節)。また、鞭打ちや投獄などの苦難を通して牢の看守とその家族に福音が伝えられるようにされた(同22~34節)。
 パウロはコリントに来た時、身体的にも精神的にも霊的にも「衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安」(3節)を抱いていた。しかし、聖霊は、シラスやテモテをはじめ、主にある同労者を通して、彼に励ましと慰めを与えられた(使徒言行録18章5節、テサロニケの信徒への手紙一3章6~8節)。また、主なる神は、パウロを通して、コリントの人々に聖霊を授け、神の国の福音をもたらし、「目覚ましい奇跡を行われた」。聖霊の力を伴うパウロの働きを目撃した人々によって「主イエスの名は大いにあがめられるようになった」(使徒言行録18章6~17節)。
 神の国の宣教は「知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明による」(4節)。キリスト者聖霊の御力に頼る時、福音を伝えられた人は「人の知恵によってではなく、神の力によって信じるように」(5節)なる。