Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 コリントの信徒への手紙一3章18~23節

聖書研究 コリントの信徒への手紙一3章18~23節(新共同訳 新約pp.302-303)

(1) 本当に知恵のある者となるために(18~20節)

 教会は世俗的な基準が適用される場所ではない。コリントの教会における争いは、彼らが世俗的な価値観に陥っていることを示していた。コリントのキリスト者は、「自分はこの世で知恵のある者だと考え」(18節)、教会の指導者をこの世の知恵によって判断し、派閥を形成した。
「この世の知恵は、神の前では愚かなもの」(19節)である。自分が知恵のある者であると思っている人は、無知の中を彷徨い、悲惨な結果を迎える。価値があると彼らが見なしたことも、主なる神の御前では虚しいものに過ぎない(20節)。
 私達は虚しい世の知恵を捨て、天の知恵を慕い求めなければならない。主なる神の御心に従い、世の流れに逆らう生き方をしなければならない。主なる神のための働きにおいて、この世の価値と基準を適用する罪を犯さないよう気を付けなければならない。

(2) 誰も人間を誇ってはならない(21~23節)

 人は信頼の対象ではない。にもかかわらず、コリントのキリスト者は、人に執着し、世の知恵によって指導者を評価し、自分が知恵のある指導者の下にいると自慢した。悪魔が私達を騙す道具として用いるのがまさに自慢と高慢である。
 それに対し、パウロは、最も惨めで、蔑まれた者となられ、十字架で苦難を受けられたイエス・キリストこそが生き方の基本であることを思い起こさせた。「パウロもアポロもケファも」(22節)、イエス・キリストのように低くなり、コリントのキリスト者に仕えた。彼らは世にある全てのものが、最終的に教会に与えられることをよく知っていた(22節)。それ故、誇るべきものは、人ではなく、一切をキリスト者に恵みによって与えて下さる主なる神だけである(23節)。