Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 コリントの信徒への手紙一4章9~21節

聖書の黙想と適用 コリントの信徒への手紙一4章9~21節(新共同訳 新約pp.303-304)

(1) 世の屑、すべてのものの滓(9~13節)

 コリントの教会の人々は、高慢になり、「王様」(8節)のように振舞っていた。それに対し、パウロは、自分や他の使徒達を「まるで死刑囚のように最後に引き出される者」(9節)、「世の屑、すべてのものの滓」(13節)に喩え、彼らのような態度がいかに間違っているかを指摘した。
 パウロも他の使徒達も「キリストのために愚か者」(10節)となった。具体的には、イエス・キリストのために「侮辱され」(10節)、「飢え、渇き、着る物がなく、虐待され、身を寄せる所もなく、苦労して自分の手で稼い」(11~12節)だ。また、イエス・キリストのために「侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、ののしられては優しい言葉を返し」(12~13節)た。そして、イエス・キリストに更に献身することを願った。神の国において偉大な人は、この世においては謙遜である。

(2) 私に倣う者になりなさい(14~21節)

 パウロは、コリントの教会の人々に「福音を通し、キリスト・イエスにおいてわたしがあなたがたをもうけたのです」(15節)と述べ、自分と彼らの関係を親と子の関係として位置付けた。彼らにとってパウロは「キリストに導く養育係」(15節)に留まらなかった。パウロは「愛する自分の子供として」コリントの教会の人々を「諭」した(14節)。
 また、パウロは「わたしに倣う者になりなさい」(16節)と勧めている。そして、そのために自分の同労者であるテモテを遣わした。テモテについて、パウロは「彼は、わたしの愛する子で、主において忠実な者であり、至るところのすべての教会でわたしが教えているとおりに、キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方を、あなたがたに思い起こさせることでしょう」(17節)と述べている。
神の国は言葉ではなく力にある」(21節)とパウロは言う。主なる神は、イエス・キリストに結ばれ、聖書の言葉に従う謙遜な者を、力強い御腕をもって守り、導かれる。主なる神に忠実に仕える者は必ず勝利する。