Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 コリントの信徒への手紙一9章13~18節

聖書の黙想と適用 コリントの信徒への手紙一9章13~18節(新共同訳 新約pp.310-311)

(1) 福音伝道による報酬を受けないパウロ(13~15節)

 パウロは、コリントの教会の人々に、「神殿で働く人たちは神殿から下がる物を食べ、祭壇に仕える人たちは祭壇の供え物の分け前にあずか」(13節)ったことについて語る。主なる神は祭司とレビ人が他の仕事をしなくても生活出来るようにされた。また、イエス・キリストは「福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示され」(14節)た。現代の教会においても、キリスト者は福音を宣べ伝える者の生活を支えるよう求められている。
 にもかかわらず、パウロは「この権利を何一つ利用」(15節)しなかった。彼がそのことに言及したのは、「自分もその権利を利用したいからではな」(15節)い。逆に「それくらいなら、死んだ方がましです」(15節)とパウロは言う。パウロがこのことをコリントの教会の人々に語ったのは、自費で福音を宣べ伝えてきたのを喜び、誇りに思っていることを伝えるためであった。福音伝道にはそれほどの価値と喜びがある。

(2) 福音伝道は使命である(16~17節)

 パウロは「わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません」(16節)と語る。福音自体は誇るべきものである。しかし、それを宣べ伝えることは誇りや功労には出来ない。
 パウロが福音を宣べ伝えることについて誇ったり、報酬を求めたりしないのは、それが「自分からそうしている」(17節)ことではなく、「そうせずにはいられないこと」(16節)、主なる神から「ゆだねられている務め」(17節)だったからである。
 そして、福音を宣べ伝えることの恵みは、パウロが「福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです」(16節)と告白するほど大きい。イエス・キリストパウロに恵みとして福音伝道を命じられた。主なる神がキリスト者に福音伝道を命じられるのも、その恵みを受け取らせるためである。

(3) 福音伝道の報酬(18節)

 パウロは福音を宣べ伝えることの報いについて再度自分の思いを告白する。パウロにとって「福音を告げ知らせるときにそれを無報酬で伝え」、彼が「当然持っている権利を用いないということ」が福音伝道の報酬であった(18節)。
 パウロは誰よりも福音の喜びを知っていた。福音が与える自由、主なる神の愛の大きさを知っていた。福音そのもの、それを宣べ伝えることそのものが、主なる神がパウロに与えた大きな恵みであった。それ故、彼は、報酬を受けなくても、福音伝道の使命を果たさずにはいられなかった。
 福音を信じてイエス・キリストを知ることは、それほどまでに恵みに満ちている。福音伝道に対して心が重くなったり、そのようなことをする必要はないと思うならば、イエス・キリストの恵みの大きさを更に知る必要がある。キリスト者は福音をより深く知り、その喜びの大きさを知らなければならない。