Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 コリントの信徒への手紙一9章19~27節

聖書の黙想と適用 コリントの信徒への手紙一9章19~27節(新共同訳 新約p.311)

(1) 全ての人に対して全てのものになる(19~22節)

 パウロは、福音の故に「だれに対しても自由な者」であったが、「できるだけ多くの人を得るため」に自ら「すべての人の奴隷」になった(19節)。「何とかして何人かでも救う」ために「すべての人に対してすべてのものに」なった(22節)。
ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のように」(20節)、「律法に支配されている人に対しては」「律法に支配されている人のように」(20節)、「律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のように」(21節)、「弱い人に対しては、弱い人のように」(22節)なった。それは、彼らの機嫌を取るためではなく、イエス・キリストの福音を伝えるためであった。
 福音宣教において、一人でも多くの人を獲得するためには、様々な違いを乗り越えて人々に仕え、福音を証ししなけれはならない。パウロは、ユダヤ人であれ異邦人であれ、どのような人に対しても、彼らを獲得するために、彼らと同じようになって近づいた。福音は全ての人に差別なく、恵みと命を与える。福音を宣べ伝える者は、その思いと姿勢を持つ必要がある。

(2) 福音を共に与る者となるために(23~24節)

 パウロは、福音を伝えるために、伝える相手の立場を理解し、その立場に立って考えた。福音の栄光を受けるために、情熱と全力を尽くした。
 パウロは、そのような自分を「競技場で走る者」に喩え、「賞を受ける」ために他の人よりも労苦し、努力してきたと告白する(24節)。それだけでなく、「あなたがたも賞を得るように走りなさい」(24節)とコリントの教会の人々を励ました。
 主なる神はキリスト者のために、多くの実りと賞を備えておられる。私達も福音の栄光に与るために、パウロのように情熱と最善を尽くさなければならない。福音の祝福は伝えることによって何倍にもなる。

(3) 自分の体を打ち叩いて服従させる(25~27節)

 パウロは、福音のための自分の努力を、「競技をする人」が賞を受けるために「節制」することに喩えている(25節)。選手は競走においては「やみくもに走」らず、目標と方向を定めて走る。闘技においても「空を打つような拳闘」をせず、相手を的確に攻撃する(26節)。
 その上で、パウロは、「朽ちる冠を得るために」さえ多くの労苦がなされるのだから、「朽ちない冠」である福音の栄光を「得るために」は、尚のことあらゆることを「節制」しなければならないと説いた(25節)。パウロ自身、主なる神から賞を受けるために、「自分の体を打ちたたいて服従させ」(27節)、自分を厳しく鍛錬し、努力した。それは福音を「他の人々に宣教しておきながら、自分の方が」福音の栄光を受けられない「失格者になってしまわないため」であった(27節)。
 キリスト者は、主なる神から賞を受けるという目標と方向のために、あらゆることを自制し、自分を訓練しなければならない。福音を伝え、実を結ぶことは、救われた者としての喜びである。