Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 コリントの信徒への手紙一10章1~13節

聖書の黙想と適用 コリントの信徒への手紙一10章1~13節(新共同訳 新約pp.311-312)

(1) 荒れ野で滅ぼされたイスラエル(1~5節)

 パウロはコリントの教会の人々に、彼らの誰もが知っている旧約の出来事に言及しながら教えた。奴隷だったイスラエルの民は、主なる神の恵みによって「皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け」(1節)、主なる神の臨在と救いを与えられた。更に「モーセに属するものとなる洗礼を授けられ、皆、同じ霊的な食物を食べ、皆が同じ霊的な飲み物を飲」(2~4節)んだ。
 にもかかわらず、彼らは主なる神の恵みを忘れ、主なる神を捨てた。そのため、「彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしま」(5節)った。主なる神は「悪をむさぼる」者を喜ばれないことを、パウロはコリントの教会の人々に思い出させようとした。
 聖霊による奇蹟を体験し、それによって命を救われることがあっても、自分自身が罪と戦い、主なる神を畏れるようになるとは限らない。イスラエルは、主なる神の一方的な恵みによって救われたが、主なる神よりも罪を選び続けたために滅ぼされた。私達は、このことを警告として、罪と戦い、主なる神の御心に従って生きていこう。

 (2) 悪を貪ることのないために(6~11節)

 旧約におけるイスラエルの滅びは「わたしたちを戒める前例として起こった」(6節)とパウロはコリントの教会の人々に言う。イスラエルの民は「悪をむさぼった」ために滅ぼされた。聖書にイスラエルの民の罪とそれに対する主なる神の裁きが記されているのは、私達が同じようにならないために警告を与えるためである。
 主なる神は、その言葉を聴くあらゆる時代の信仰者に対し、「偶像を礼拝してはいけない」(7節)こと、「みだらなことをしない」(8節)こと、「キリストを試みない」(9節)こと、「不平を言う」(10節)ことについて「警告した」(11節)。罪は様々であっても、その本質は主なる神に従わないことである。聖書は、罪を鋭く指摘して警告し、それを悔い改めなければ、主なる神の厳しい裁きがあることを私達に悟らせる。
 主なる神が喜ばれない罪に近づいてはならない。罪から遠ざかるために、日々聖書に向き合おう。主なる神は聖書の言葉を通して私達の心を探り、私達が行くべき道を示して下さる。

(3) 立っていると思う者は、倒れないように(12~13節)

 パウロは、高慢になって「立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい」(12節)と注意を与える。救いは、一度受けたら、それで全てが終わりではない。罪はいつも私達の隙を伺っている。私達は罪人なので、自分の力で立つことなど一瞬たりとも出来ない。自分は完全にされ、立派な信仰者になったと高ぶる時、私達はすぐに倒れてしまう。
 人間は皆、主なる神によって生かされている。それは救われても変わらない。キリスト者は、倒れないようにいつも信仰を確かにし、自分の知恵と力ではなく、主なる神に頼らなければならない。そうすることによってのみ、私達は罪と戦って勝ち抜くことが出来る。
 主なる神は「真実な方」なので、私達を「耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていて」下さる(13節)。私達は、このような主なる神の恵みによって生かされ、成長させられていくのである。