Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 コリントの信徒への手紙一11章1~16節

聖書の黙想と適用 コリントの信徒への手紙一11章1~16節(新共同訳 新約pp.313-314)

(1) 礼拝時に守ること(1~6節)

 パウロは、自分が彼らに「伝えたとおりに、伝えられた教えを守っている」(2節)コリントの教会の人々に、その原理について語った。それは「すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神であるということ」(3節)である。主なる神の主権に従うことが信仰である。
 主なる神を畏れ、主なる神の権威を認めるならば、生活においても礼拝においてもそのことが行いに表れる筈である。秩序を守ることもその一つである。パウロは、コリントの教会の人々に対し、「祈ったり、預言したりする際」(4節、5節)、男は頭に被り物をすべきではなく(4節)、女は「頭に物をかぶるべき」(6節)であると勧めた。それは当時の秩序として最も受け入れられていたことであった。
 個人主義の時代にあって秩序や習慣に反発を感じる人は多いかも知れない。しかし、秩序を守ることも主なる神に仕えることに繋がる。礼拝は、教会の最も代表的で、公的な活動である。そのことを通して主なる神が秩序を設けられた方であることを世に証しすることになる。また、教会はキリストの体である。イエス・キリストに属する一つの部分としての自分を認識する時、自分のことだけでなく、他の人を顧みることへと導かれる。秩序は不変であるわけではないが、主なる神と隣人への愛をもってそれに従おう。

(2) 女だけが頭を覆う根拠(7~12節)

 主なる神は創造の時から男女間に秩序を立てられた。主なる神は男のあばら骨から「彼に合う助ける者」(創世記2章18節)として女を造られた(同22節)。「男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだから」(9節)、女は男に従わなければならない。
 コリントの教会において女性が当時の慣習に従って礼拝で被り物を着けることは、「女は男の栄光を映す者」(7節)であるという男女間の秩序に従うこと、ひいては主なる神がこの世を創造されたことを認めることを意味した。男と女の間にある秩序を尊ぶ時、キリスト者は主なる神を証しすることになる。
 人権運動の影響により、女が男に従うという主張は、多くの攻撃や誤解を受けてきた。それには家父長制における歪んだ服従の要求に対する反発という一面もある。しかし、主なる神が定められた秩序を蔑ろにすることは、イエス・キリストに従うというキリスト者の本分を歪めてしまうことに繋がる。聖書を主なる神の言葉と認め、男女間の秩序を守ることを性差別的にではなく、主なる神の創造における秩序という側面から受けとめる時、私達は行うべきことを自ずと悟ることが出来る。
 勿論、このことは男女間の本質的な上下関係を表しているのではない。「主においては、男なしには女はなく、女なしには男はありません。それは女が男から出たように、男も女から生まれ、また、すべてのものが神から出ているからです」(11~12節)とパウロは言う。

(3) いかなることにおいても主なる神に従う(13~16節)

 パウロは、コリントの教会の人々に「女が頭に何もかぶらないで神に祈るのが、ふさわしいかどうか」、「自分で判断」するよう要求した(13節)。その上で、「異論を唱えたい人」(16節)に対し、「男は長い髪が恥であるのに対し、女は長い髪が誉れとなることを、自然そのものがあなたがたに教えていないでしょうか」(14節)と訴えた。
 私達には良心に基づいて自ら判断すべき時と事柄がある。その際、主なる神の言葉に立つという原則を絶対に変えてはならない。イエス・キリストは天地万物の主であり、全ての中心であられる。その主を最初に伝えた使徒達を通して啓示されたことに従うことは、イエス・キリストを主とする上で大切なことである。そのイエス・キリストにあって主なる神に従うなら、主なる神が定められたことにも喜んで従うことが出来る筈である。そこに主の平安がある。