Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 コリントの信徒への手紙一12章22~31節

聖書の黙想と適用 コリントの信徒への手紙一12章22~31節(新共同訳 新約pp.316-317)

(1) 互いに配慮し合う(22~25節)

 パウロはコリントの教会において人の目につき易い賜物を持っていない人達が蔑ろにされていることを指摘する。その上で、「体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです」(22節)と述べ、自分の賜物を誇り、他の兄弟姉妹を見下す者を批判した。
 主なる神は、キリスト者が互いを大事にし、互いに愛し合うことを求めておられる。教会には、自慢や蔑みではなく、互いへの思いやりが必要である。痛んだ所があれば、体全体が痛むように、弱い者を教会全体で支え、必要が満たされるようにしなければならない。
 教会は弱い人や貧しい人を助ける共同体である。そのために、キリスト者同士が愛し合い、励まし合う必要があるのは言うまでもない。強い者は弱い者を助けなければならず、沢山持っているものは少ししか持っていない者を支えなければならない。自分は全く助けようとはしないのに、助けを受ける側にいるだけではいけない。その一方で、弱さのあるキリスト者は、助けを受けることを負担に思わず、感謝し、喜んで受ける必要がある。体全体が健全であることが、教会を建てられた主なる神の御心だからである。
 また、賜物を発揮出来ないキリスト者がいるなら、状況を改善しなくてはならない。賜物は教会全体の益のために与えられたものだからである。教会に不必要な部分はない。

(2) 共に苦しみ、共に喜ぶ(26~27節)

 パウロは、教会が「キリストの体であり、また、一人一人はその部分」(27節)であることを教えた。それ故、一人のキリスト者が「苦しめば」、他のキリスト者もその痛みを分かち合って、「共に苦し」む。また、一人のキリスト者が「尊ばれれば」、他のキリスト者もその喜びを分かち合って、「共に喜ぶ」(26節)。
 教会に属する一人一人は互いにしっかりと結び合わされている。体の一部分が病むと、体全体が痛みに反応するように、教会の全ての部分は一つの体として繋がっている。一人のキリスト者の悲しみと喜びは教会全体に影響を与える。教会は一つの体であるので、他のキリスト者の喜びと悲しみは自分の喜びと悲しみでもある。
 キリスト者が悲しみと喜びを分かち合い、互いを支え合うためには、教会がキリストの体であることをよく理解し、聖書の言葉から確信しなければならない。悲しみと喜びの共有は、ただ長い時間を共に過ごすことによる親密感ではなく、教会を建てられた主なる神の栄光を仰ぐことから湧き起こるからである。他の人々の喜びや痛みを共に分かち合うための愛を、主なる神は与えて下さる。
 人の痛みに無感覚であるこの世にあって、多くの人が傷つき、恐れの中で生きている。或いは、福音のために苦難を受けて命さえ危うい兄弟姉妹もいる。互いを支え合う教会は、神の国の前味のような交わりである。主にある兄弟姉妹のために、自分の持っているものを主なる神に献げよう。一つの体である兄弟姉妹を、祈りによって、言葉によって、物質によって支えよう。

(3) 愛を追求する(28~31節)

 パウロは、主なる神がキリストの体である教会に分け与えて下さった多様な賜物と、「教会の中に」「お立てに」(28節)なった奉仕者について語る。
 全ての人が同じ賜物を持ち、同じ働きを担うことは不自然であり、それでは教会の成長に繋がらない。だから、教会において「皆が使徒」、「皆が預言者」、「皆が教師」、「皆が奇跡を行う者」であること(29節)、「皆が病気をいやす賜物を持っている」こと、「皆が異言を語る」こと、「皆がそれを解釈する」ことはない(30節)。
 賜物は聖霊から来るので全て尊い。与えられた賜物に感謝し、それをよく用いて、教会を建て上げていく働きにしっかりと携わろう。一人一人の賜物は、個人に与えられた主なる神の贈り物というよりも、教会に与えられた主なる神の贈り物である。賜物は、自分のためではなく、教会を建て上げるために用いるべきである。自分が受けた賜物を自分のために利用しようとするところには高慢がある。賜物のことで他の兄弟姉妹と自慢や比較をして、人を傷つけたり、苦しみを引き起こすことのないよう、重々注意する必要がある。
 その上で、パウロは「あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に務めなさい」(31節)と教え、愛こそがそれであると語る(13章)。パウロが愛を「最高の道」(31節)であると述べているのは、それが教会においてより大きな益を兄弟姉妹に与えるからである。全ての賜物は愛によって用いるべきであり、他の人の益となるために与えられたものである。愛がなければ、いかなる賜物も無用のものになってしまう。