Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 コリントの信徒への手紙一13章1~13節

聖書研究 コリントの信徒への手紙一13章1~13節(新共同訳 新約p.317)

(1) 愛――イエス・キリストの生涯(1~7節)

 御子イエス・キリストは、人間の目に見えず、耳で聞こえない主なる神を人間に見せ、聞かせるために、真の人間としてこの地に来られた。イエス・キリストの生涯を一言で表現するならば「愛」である。
 愛がなければ、人間のいかなる言葉も行為も意味を失ってしまう(1節)。「預言する賜物」も、「あらゆる神秘とあらゆる知識に通じてい」ることも、「山を動かすほどの完全な信仰」も(2節)、愛のために行う時に初めて意味を持つ。
 愛は生き方によって現れなければならない。愛の有無は、「情け深」くあり、「ねたま」ず、「自慢せず、高ぶら」ず(4節)、「礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱か」ず(5節)、「不義を喜ばず、真実を喜」び(6節)、「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」(7節)ことによって証明される。イエス・キリストはその愛を、ご自分の生涯を通して証明された。

(2) 愛――最も大いなるもの(8~13節)

 この世に存在する全ての被造物は例外なく朽ち果てる。主なる神が下さる賜物の中には、この世でだけ必要なものと、「いつまでも残る」(13節)ものがある。私達人間は移り変わり、「廃れ」る部分的なものに心を奪われて生きているが、主なる神はご自分の民に「完全なものが来」(10節)ることを約束された。
 朽ちるものが朽ちないものに変わる時、私達は「この世の退廃を免れ、神の本性にあずからせていただく」(ペトロの手紙二1章4節)。父である神がご自分の子供に与える最高の性質が「愛」である(13節)。
 キリスト者は「幼子」(11節)から始まって、「キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長」(エフェソの信徒への手紙4章13節)しなければならない。やがて主と出会い、「顔と顔とを合わせて見ることになる」時、「今は一部しか知らなくとも」、「はっきりと知ることになる」(12節)。その日を期待しながら生きていこう。