Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 コリントの信徒への手紙一15章1~11節

聖書研究 コリントの信徒への手紙一15章1~11節(新共同訳 新約p.320)

[1~2節] パウロが告げ知らせた福音

 コリントの教会の人々はパウロの宣べ伝えた「福音」(εὐαγγέλιον [euangelion])を「受け入れ、生活のよりどころにしている」(1節)とパウロは言う。これは以前パウロがコリントに留まって告げ知らせたことの結果でもある。その上で、パウロは自分が宣べ伝えた福音を、コリントの教会の人々に再び思い起こさせようとした。
 パウロにとって信仰とは、使徒達が宣べ伝えた福音を受け入れ、それによって生きることである。教会はイエス・キリストが再び来られるまで福音を語り続けなければならない。
 パウロは自分が告げ知らせた福音を救いと関連付ける(2節)。福音伝道の目的はそれを聞く者が救われることである。その一方で、福音は裁きをもたらすものにもなる。福音を受け入れる者は救われるが、そうでない者は滅ぼされる。

[3節前半] 最も大切なこと

 パウロは自分の宣べ伝えた福音の内容を述べるための導入として、「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです」(3節)と記した。「伝えた」と訳されているギリシア語(παραδίδωμι [paradidómi])は、「伝達する」「引き渡す」という意味である。「受けたもの」(ὃ καὶ παρέλαβον [ho kai parelabon])と「伝える」は、福音が語り継がれる方法を表すのによく用いられる語である。厳格な律法主義者であったパウロは、このような用語に慣れ親しんでいたことだろう。

[3節後半~5節] キリストは

 パウロは自分が伝えた福音の内容を4点にまとめている。
 ①イエス・キリストは「聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだ」(3節)。イエス・キリストの死は偶発的なものではなく、聖書の預言の成就である。最初期の教会はイエス・キリストの死を通しても、聖書が主なる神の言葉であることを確信した。
 ②イエス・キリストは「葬られた」(4節)。イエス・キリストは完全に死なれ、人々はイエス・キリストを葬った。
 ③イエス・キリストは「聖書に書いてあるとおり三日目に復活した」(4節)。イエス・キリストの復活は、福音の核心の中でも核心である。主なる神はその御力によって、死んで葬られたイエス・キリストを死から甦らされた。イエス・キリストの復活は聖書の預言の成就である。
 ④甦られたイエス・キリストは、ケファ(ペトロ、「岩」の意味)に現れ、「その後十二人に現れ」(5節)た。イエス・キリストの復活は根拠のない噂ではない。復活されたイエス・キリストは、ケファに現れて、復活の体を見せ、それから12人の弟子達にも現れた。「十二」という数字は神の民全体を象徴する。イスカリオテのユダが死んだので、その時弟子は11人であったが、パウロは12の象徴性を保とうとした。

[9節] 使徒達の中でも一番小さな者

 前節に続いて、パウロは「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です」と告白する。コリントの教会の中には、パウロ使徒ではないという意見を持つ者もいた。パウロはかつて教会を迫害したことを悔い改め、自分が使徒としての資格のない者であることを謙遜に認めた。その上で、自分が使徒であることを明確に示す必要があった。

[10~11節] 神の恵みによって

 パウロは「神の恵みによって今日のわたしがあるのです」(10節)と告白する。自分がイエス・キリスト使徒とされたのは「神の恵み」によるとパウロは言う(3章10節、ローマの信徒への手紙12章3節、15章16節、ガラテヤの信徒への手紙2章9節、エフェソの信徒への手紙3章2節、7~8節)。
 値なしに与えられた主なる神の恵みによってパウロ使徒となり、「他のすべての使徒よりずっと多く働」(10節)くことが出来た。その働きについて、パウロは、自分の力によるものではなく、主なる神が共におられ、恵みを与えて下さった結果であると述べている。
 更にパウロは、自分の伝える福音は他の使徒達が伝えるものと同じであり、自分がそのように宣べ伝えた時、コリントの教会の人々はそのように信じたと記している(11節)。