Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 コリントの信徒への手紙一16章1~12節

聖書研究 コリントの信徒への手紙一16章1~12節(新共同訳 新約p.323)

[1節] 募金について

 パウロはここで主題を変えて、「聖なる者たちのための募金」に関する話を切り出す。この募金は困難の中にあるエルサレムの教会のためであった。パウロは「ガラテヤの諸教会に指示したように」、コリントの教会にもエルサレム教会のために献金することを願った。
 パウロは、小アジアで福音を伝えていた時にも、経済的に困難の中にあったエルサレム教会のことをいつも気にかけていた。パウロは、使徒達を通して福音を聞き、多くの恵みを受けている異邦人の教会が、福音の発信地であるエルサレム教会に、物質的な支えを送ることが望ましいと考えた。パウロは、問題を抱えて混乱していたコリントの教会が良い業に励めば、問題解決の助けとなると判断したのかも知れない。

[2節] 献金のための準備

 パウロ献金に関して「わたしがそちらに着いてから初めて募金が行われることのないように、週の初めの日にはいつも、各自収入に応じて、幾らかずつでも手もとに取って置きなさい」と具体的な指針を与えた。この言葉には2つの内容が見られる。
①週の初めの日である主の日に献金をする。
②各自の収入に応じて、手もとにそれを貯えておいて献金をする。
 献金は定期的に、各自の収入に応じて適切にするのがよいということである。パウロは自分がコリント教会を訪問した時、彼らがあたふたと献金することを願わなかった。

[3~4節] エルサレム教会に対する献金の送り方

 パウロはコリントの教会が集める献金を、エルサレム教会にどのように送るかについても言及している。そこでパウロは、コリント教会の中で「承認された人たちに手紙を持たせて」、献金を「エルサレムに」届けること(3節)、自分も一緒に「行く方がよければ」、そのようにすることを提案している(4節)。
「あなたがたから承認された人たち」とは、献金を届けるために教会が正式に推薦した人々(ギリシア語の原文でも複数形)を指す。献金に関する奉仕は、教会が十分な信頼を置ける誠実な人々に任せなければならない。イエス・キリストが「わたしたちを愛し、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとして」(エフェソの信徒への手紙5章2節)十字架で死なれたように、キリスト者献金も「香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえ」(フィリピの信徒への手紙4章18節)である。
「手紙」とはパウロがコリントの教会に送った手紙のことである。「その贈り物」(口語訳では「あなたがたの贈り物」、新改訳では「あなたがたの献金」)と訳されているギリシア語χάριν ὑμῶν [charin hymōn]は、直訳すると「あなたがたの恵み」である。「献金」を「恵み」と言っているのは、それが働きや物質に対する代価ではなく、値なしに提供する感謝の「贈り物」だからである。
 4節はそのままの意味で、コリントの教会が推薦した人々と集めた献金を、パウロが一緒に届けるという意味である。しかし、パウロは、ただ献金を持って行くだけでなく、エルサレムを訪れた後、ローマにある教会のキリスト者と交わりを持ち、彼らに派遣されてイスパニアまで行く計画を心に抱いていた。

[5~7節] 旅行の計画

 パウロは今後の自分の旅の計画を伝えた。この時パウロはエフェソにいた(8節)。しかし、近いうちにコリントの教会を訪問することを計画し、陸路で「マケドニア州を通」ってコリントに行くことを希望していた(5節)。
 マケドニアにはフィリピ教会がある。パウロはフィリピ教会のキリスト者にもエルサレム教会のための献金について励まし、それがどのように進められるかを見届けたいと思っていたようである。
 パウロは、コリントに行くことになれば、そこで「冬を越すことになるかもしれ」ないと予測した。そして、「次にどこに出かけるにしろ」、コリント教会が自分を「送り出して」くれることを期待した(6節)。「次にどこに出かけるにしろ」というのは、パウロが心に抱いている次の宣教地のことである。これはエルサレム、その次にはローマとイスパニアを念頭に置いているのは明らかである。
 パウロは、「主が許してくだされば」(7節)、コリントに一定期間留まって、彼らと交わりを持つことを願った。「主が許してくだされば」というのは、全ての宣教の旅程は主が許されてこそ可能であるというパウロの告白である。