Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 詩編73編1~14節

聖書研究 詩編73編1~14節(新共同訳 旧約pp.907-908)

[3~12節] 主なる神に逆らう者の安泰

 3節からはアサフが何故信仰の危機に瀕したかが説明されている。「神に逆らう者の安泰を見て」、「驕る者をうらやんだ」とあることから、彼らとの直接的な関係によって訪れた危機ではないことが分かる。
「安泰」(שָׁלוֹם [shalom])は誰もが願うことである。しかし、アサフは自分と悪者を比べて、彼らが栄えていることに対して、相対的な喪失感を抱いている。
 4~5節ではアサフの目線で、驕り高ぶる者や悪者の栄える様子が描写されている。「死ぬまで彼らは苦しみを知らず/からだも肥えている。だれにもある労苦すら彼らにはない。だれもがかかる病も彼らには触れない」という言葉からは、アサフの深い喪失感が伝わってくる。
 6~9節ではアサフを苦しめる彼らの悪い行動や言葉が絵画的に描かれている。特に9節の「口を天に置き/舌は地を行く」は、彼らの悪が絶頂に達したことを窺わせる。
 ここでこれらの言葉が全てアサフの主観であることを見落としてはならない。悪者はアサフに何か害を加えたわけではない。にもかかわらず、彼らの姿を見るだけでアサフは苦しんだ。
 アサフを更に悲しませたことが10~12節に記されている。主なる神に逆らう者の周りには、その栄えに便乗しようとする人々が集まっていた。彼らは悪者の傍にいて、悪者から滴る水で潤されようとした。そして、彼らは「神が何を知っていようか。いと高き神にどのような知識があろうか」(11節)と一つになって主なる神を否定した。そのような場面は旧約聖書で何度も見られる(10編11節、イザヤ書29章15節、エゼキエル書8章12節)。12節では、相対的な喪失感に陥ったアサフが、悪者が「安穏で、財をなしていく」ことについて再び主なる神に訴えている。

[13~14節] 自分の苦しみに目を向けるアサフ

 アサフは主なる神に逆らう者の安泰と比較される自分の姿に目を向ける。
 1節でアサフは、主なる神は「心の清い人に対して、恵み深い(טֹ֭וב אַ֤ךְ [’aḵ ṭō-wḇ])」と告白した。アサフはこの信仰の原則に縋って、富や権力への欲望を抑え、心清く歩もうと努力してきたことだろう。
 ところが、アサフが敬虔な歩みを通して追い求めていた「安泰」を、主なる神に逆らう者が手に入れているのを目にした。それに対し、アサフは「わたしは心を清く保ち/手を洗って潔白を示したが、むなしかった(אַךְ־רִ֭יק [’aḵ- rîq])」(13節)と嘆いた。そして、アサフの相対的な喪失感は、「日ごと、わたしは病に打たれ/朝ごとに懲らしめを受ける」(14節)と絶えることのない苦しみだけに目を向けさせた。