Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 詩編73編15~28節

聖書研究 詩編73編15~28節(新共同訳 旧約pp.908-909)

(1) 夢のように虚しい人生(15~21節)

 アサフは、悪者の繁栄と敬虔な者の苦難という不条理な現実のために疑いに陥った。罷り間違えば悪者の道に従って彼らの人生哲学を追い求めるところであった。
 しかし、「神の聖所を訪れ」た時、アサフは霊的な彷徨に終止符を打つことが出来た。悪者の「行く末」について悟ったからである(17節)。アサフは、悪者が生きている間に栄えるだけでなく、平安に死を迎えたとしても、結局は悲惨な終末を迎えることに気付いた。
 アサフの発見は、この世の人生がどれほど素晴らしくても、それは一時の夢のようなものに過ぎず(20節)、やがて主なる神が悪人を滅ぼし、永遠の破滅に投げ込まれるという真理に基づいている。いくらこの世で注目される人生であったとしても、主なる神によって滅ぼされる人生であるならば、それほど不幸な人生はない。

(2) 主なる神に近くある幸いな人生(22~28節)

 アサフは神の聖所でもう一つの真理を悟った。それは、苦難しかないように見えた主なる神に従う人生が、実は主なる神がいつも共におられる、真に幸いな人生であるということである。
 アサフは、主なる神がご自分に従う者の「右の手を取」(23節)り、その御手によって支え、「御計らいに従って」導き、そして最後には「栄光のうちに」連れて行かれるという真理を悟った(24節)。たとえ苦難に直面したとしても、主なる神が「避けどころ」(28節)となって下さる。肉も心も「朽ちる」時が訪れたとしても、主なる神が「とこしえに」その人の「心の岩」、「与えられた分」となって下さる(26節)。
 この真理を知った時、アサフは、主なる神だけを慕い求め、「神に近くあること」が真の幸いであることを悟った。そして、その主なる神の「御業をことごとく語り伝えよう」という情熱にとらえられた(28節)。