Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 詩編74編1~11節

聖書研究 詩編74編1~11節(新共同訳 旧約p.909)

(1) 主なる神の御怒りの結果(1~8節)

 反逆したイスラエルに対する主なる神の裁きを見て、アサフは悲しみ、主なる神に憐れみを請うた(1~2節)。
 アサフは、怒った主なる神がイスラエルを裁かれる光景を生々しく描写している。バビロンの軍隊が、主なる神が離れたエルサレムの神殿を蹂躙し、破壊する光景は衝撃的である。彼らは神殿と器具を悉く壊して燃やし、主なる神と関わりのある全ての物を完全に取り除こうとした(6~8節)。神の民というアイデンティティイスラエルから完全に奪ってしまうことで、彼らを完全に屈服させようとした。エルサレムにはバビロンの支配を象徴する異邦の神のしるしが立てられた(4節)。
 主なる神は反逆したイスラエルからご自分の臨在と祝福を取り上げ、彼らを敵に渡された。主なる神が打たれる前に自分の愚かさを悟り、主なる神に立ち返るのが真に知恵深い姿勢である。

(2) 神よ、いつまで続くのですか(9~11節)

 たとえ主なる神の裁きによって破滅したとしても、神の民は自暴自棄にはならない。神の民は裁きの中でも主なる神に訴えることが出来るからである。その根拠は以前に主なる神が彼らと永遠の契約を結ばれたことにある。
 神の民は主なる神が「養っておられた羊の群れ」(1節)であり、主なる神が「御自分の嗣業の部族として贖われた会衆」(2節)である。だから、彼らは、主なる神がイスラエルを永遠に捨てられることはない、またイスラエルと異邦人を同じようには扱われないと信じていた。
 その契約関係の故に、神の民は、回復の可能性と兆候が全くないと思われるような状況でも、落胆することなく、「神よ、刃向かう者はいつまで嘲るのでしょうか。敵は永久にあなたの御名を侮るのでしょうか」(10節)と主なる神に訴えることが出来た。そして、主なる神の「右の御手」による御業を待ち望むことが出来た(11節)。