Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 詩編74編12~23節

聖書研究 詩編74編12~23節(新共同訳 旧約pp.909-910)

(1) 救いの御業を果たされる王(12~17節)

 神の民が裁きの中にあっても主なる神に救いを訴えることが出来るのは、主なる神が救い主であり、王だからである(12節)。
 主なる神の御力は、イスラエルをエジプトから導き出し、紅海を渡らせ、荒れ野を通ってカナンに定着するように導かれた歴史にもはっきりと現れている。この時、主なる神は敵を打ち倒し、海と川を分け(13節、15節)、岩を裂いて水を豊かに流れるようにして下さった。
 しかし、主なる神の力はその程度ではない。主なる神は天と地の創造主であり、夜と昼(16節)、地の境、季節の変化を決定された主権者であられる(17節)。
 それ故、神の民はいかなる状況にあっても、たとえ主なる神の懲らしめの中にいるとしても、主なる神だけを救い主、そして王と認め、恵みを求めなければならない。それが最善の方法であり、最高の方法だからである。

(2) 主なる神の御名と契約(18~23節)

 神の民が裁きの中でも主なる神に救いを訴えることの出来るもう一つの理由は、主なる神の御名、そして契約の故である。
 主なる神はきよい御方であるため、その御名が崇められるのは当然のことである。また、主なる神は「虐げられた人」、「貧しい人、乏しい人」を憐れまれる方である(21節)。そして契約に誠実な方である(20節)。
 それ故、主なる神は、「神を知らぬ民」が「御名を侮」(18節)り、弱く貧しい者を辱め、契約の民に暴虐な振る舞いをするのをなすがままにし、ご自分の民を永遠に忘れ去る方ではない。
 アサフは、このような理由を挙げて、敵を裁いて契約の民を救って下さるようにと主なる神に切に訴えた。まるでそのように要請する権利があるかのように主なる神に叫んだ。私達の祈りもこのように真理の上に根拠を置くべきである。