Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 詩編76編1~13節

聖書研究 詩編76編1~13節(新共同訳 旧約p.911)

(1) 御名の大いなることを示される主なる神(1~7節)

 神の民は、主なる神がどのような方であるか、よく知っている。主なる神はご自分の民が住む場所の中心に臨在され(3節)、彼らに安全と平和を下さる方である。敵が起こした全ての戦争において、主なる神は光のように輝かしく(5節)、何にも比較出来ないほど偉大なことを行われる方である。
 この方は、飛んでくる火の矢を砕き、敵の盾と剣の力を奪う(4節)。主なる神の御前では「勇敢な者も狂気のうちに眠り/戦士も手の力を振るいえなくなる」(6節)。戦車と馬は「深い眠りに陥」(7節)り、動くことが出来なくなる。
 このように主なる神が「叱咤されると」(7節)、敵は無力になってしまう。無敵不敗の神がシオンにおられるから、神の民は安全で平和に暮らせる。

(2) 恐るべき方である主なる神(8~13節)

「神の宮」が地理的にシオン(エルサレム)にあっても(3節)、主なる神の御座は高い天にある(9節)。それ故、主なる神は周辺の強大国の王や支配者と比較出来ない方である。それにもかかわらず、アサフは主なる神をこの世の王と比較することで主なる神の権威がどれほど威厳のあるものかを示している。
 主なる神が「怒りを発せられるとき」、誰もその御前にまともに立つことは出来ない(8節)。主なる神が「天から裁きを告知」されると、誰も異議を唱えることは出来ない(9節)。主なる神の宣告と執行は徹底しているからである。この世の王と支配者も主なる神の御前では羽を伸ばすことが出来ず、奴隷のように恐れるだけである(13節)。
 そのように権威を持った主なる神が神の民を救うために敵を裁かれる。そのことが神の民にとっては讃美と感謝の理由になる。