Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 詩編77編1~10節

聖書研究 詩編77編1~10節(新共同訳 旧約pp.911-912)

(1) 苦難の襲う時(1~4節)

 苦難の時には私達の生活のリズムが崩れてしまう。現実への対処をめぐって頭が混乱し、他の人の慰めの言葉も心に届くことはない。心理的な緊張が高まって眠れなくなることもある。
 しかし、神の民は「苦難の襲うとき」に「主を求め」る(3節)。アサフは苦難の中で「神を思い続けて呻き」(4節)、「神に向かって」「助けを求めて」「声をあげ」(2節)、夜通し祈り続けた。
 苦難の程度が甚だしく、期間が長くなれば、霊も心も体も深い病に陥る。アサフの霊も「悩んでなえ果て」(4節)ていた。それにもかかわらず、神の民は主なる神に祈り続ける。救いを訴える時、主なる神は自分の祈りに「耳を傾けてくださ」(2節)るという確信を持っているからである。

(2) 主なる神の長い沈黙の前で(5~10節)

 アサフが苦しい夜を明かしていたのは(7節)、かつて主なる神から恵み、愛、慈しみ、約束(9節)、憐れみを与えられ(10節)、幸せな生活を送っていた日々と(6節)、現在の苦難の日々が余りにも対照的だったからである。
 今直面している苦難の故にアサフの「心は騒ぎ」(5節)、彼の「霊は悩んで」いた。しかし、それと共に、主なる神の恵みを味わっていた時がどれほど幸せであったかを痛感した。それ故、彼は主なる神に救いと回復を渇望した。
 にもかかわらず、主なる神の長い沈黙を前にして、アサフは「主はとこしえに突き放し/再び喜び迎えてはくださらないのか」(8節)と不安になった。そして、このまま全てが終わってしまうのではないかという不安を、そのまま主なる神の御前に注ぎ出した。このように心の中に不安と疑いが襲う時にも、率直に主なる神に訴えるのが真の祈りである。