Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 詩編78編34~42節

聖書研究 詩編78編34~42節(新共同訳 旧約pp.914-915)

(1) 偽りの悔い改め(34~37節)

 イスラエルの民は、主なる神の裁きを受け、苦しみを経験して漸く悔い改めた。彼らは生命の危機に直面し、初めて「神を求め、立ち帰って、神を捜し求めた」(34節)。主なる神は彼らを守り、支えてくれる「岩」のような方であり、畏れをもって仕えるべき「いと高き神」であり、彼らを救う「贖い主」であるということを漸く覚え、救いを訴えた。「神は岩、いと高き神は贖い主」(35節)というその時の彼らの告白には非の打ち所がなかった。
 しかし、彼らは危機が過ぎ去るとすぐ全てのことを忘れてしまった。彼らは主なる神との「契約に忠実ではなかった」(37節)。それ故、主なる神は彼らの告白について、「その口をもって神を侮り/舌をもって欺いた」(36節)と言われた。彼らの悔い改めは真実なものではなかった。

(2) 主なる神の憐れみと人間の反抗(38~42節)

 主なる神は「憐れみ深く」、イスラエルの民に対する憐れみを取り去られなかった。「彼らを滅ぼすことなく、繰り返し怒りを静め/憤りを尽くされることはなかった」(38節)。人間が「肉にすぎず/過ぎて再び帰らない風であること」を「御心に留め」て下さったからである(39節)。
 一方、イスラエルの民は、「敵の手から贖われ」、主なる神の救いを経験しても、「御手の力を思わず」、すぐに主なる神を忘れて生きた(42節)。彼らは、「神に反抗し」(40節)、「繰り返し神を試み」(41節)、主なる神を悲しませ、怒らせた。
 主なる神はイスラエルの民を憐れみ、いつも覚えておられたが、イスラエルの民は主なる神をすぐに忘れ、罪の道を歩んだ。