Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 コリントの信徒への手紙二1章1~11節

聖書研究 コリントの信徒への手紙二1章1~11節(新共同訳 新約p.325)

(1) 挨拶(1~5節)

 私達が今日直面する苦難はイエス・キリストが既に味わわれたものである(5節)。そして、「わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神」(3節)は、「あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださ」(4節)り、私達が苦難に打ち勝つことの出来る力を与えて下さり、解決策を備えて下さっている。それ故、問題は苦難自体ではない。苦難に勝る愛と恵みによって慰めて下さる主なる神に対する私達の信仰である。
 イエス・キリスト愛する人が酷い苦しみに遭うこともある。しかし、イエス・キリストを信じる者は、苦難に直面して「倒れても、打ち捨てられるのではない」。主なる神がご自分の愛する民の「手をとらえていてくださる」(詩編37編24節)。だから、再び立ち上がり、更に力強く歩んでいくことが出来る。そして、主なる神は苦しみを経験した者を慰める器として用いられる。

(2) 主なる神が苦難を与えられる目的(6~11節)

 私達が過去に受けた苦難には意味と目的がある。苦難に直面している隣人に最も大きな慰めを与えることの出来るのは、その人と同じような苦難を信仰によって克服した人である。私達は自分に襲ってきた苦難に信仰によって打ち勝つことで、他の人々を慰め、救いへと導くことが出来る(6節)。
 パウロも「アジア州で」「耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失って」(8節)しまった。しかし、パウロは「自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにする」(9節)ことによって打ち勝った。
「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい」(マタイによる福音書5章11~12節)というイエス・キリストの命令は、苦難が私達にもたらす実を思って喜ぶということである(ローマの信徒への手紙5章4節)。私達は苦難の中で主なる神だけを信頼することを学ぶ。その時、大きな代価を伴う苦難は決して無駄にはならない。