Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 コリントの信徒への手紙二1章23節~2章11節

聖書研究 コリントの信徒への手紙二1章23節~2章11節(新共同訳 新約pp.326-327)

(1) あなたがたへの思いやりから(1章23~24節)

 私達は皆不完全な人間である。それ故、キリスト者であっても、立てた計画したことを変更することがあり、それによって誤解を受けることもある。
 パウロはコリントの教会の諸々の問題について心を痛めた。そのため、彼らの問題が或る程度解決された後、蟠りなく対面することを願い、旅の計画を変更した。パウロが「まだコリントに行かずにいる」のは、コリントのキリスト者に対する「思いやりから」であった(23節)。
 キリスト者同士の関係において何よりも重要なことは、主なる神の御前に恥じることのない真実と愛に基づく行動である。イエス・キリストの中で一つの体であるキリスト者は、互いに思いやり、愛し、共に生きる方法を学ばなければならない。自ら「信仰に基づいてしっかり立」ち、他のキリスト者の「喜びのために協力する」ことがその秘訣である(24節)。

(2) サタンに付け込まれないために(2章1~11節)

 サタンは「光の天使を装う」(11章14節)ことがあるため、キリスト者は祈り、霊的戦いに備えなければならない。
 主なる神は私達に「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」(テサロニケの信徒への手紙一5章16~17節)と望んでおられるが、サタンは私達を悲しませようとする(2節)。私達は他の人々にも喜びの根源とならなければならない。相手によって私が喜び、私によって相手が喜ぶことが福音の力である(3節)。
 その上で、パウロはコリントのキリスト者に、教会の中の罪を犯した者が「悲しみに打ちのめされてしまわないように、赦して、力づけ」(7節)、「ぜひともその人を愛するよう」(8節)命じた。罪を犯した人に勧告をし、罰も与えることも愛に基づいていなければならない。そして、その人が罪を悔い改めるなら、「キリストの前で」(10節)その人を赦し、愛によって受け入れなければならない。悔い改める人を心から赦せないようにするのは「サタンのやり口」(11節)である。