Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 コリントの信徒への手紙二2章12~17節

聖書研究 コリントの信徒への手紙二2章12~17節(新共同訳 新約p.327)

(1) マケドニア州に向かうパウロ(12~13節)

 パウロが「キリストの福音を伝えるためにトロアスに行」くと、主なる神はパウロのために伝道の機会を許された(12節)。また、この時パウロはテトスの取り次ぎによって〈涙の手紙〉をコリントに送っており、トロアスでテトスと会う約束をしていた。
 しかし、パウロはトロアスでテトスと会うことが出来なかった。コリントの教会の消息について聞くことが出来なかったパウロは、「不安の心を抱」いた。そして、やむなくトロアスを離れ、「マケドニア州に出発し」た(13節、使徒言行録16章6~10節)。
 福音を告げ知らせることは、パウロにとって「ゆだねられている務め」であり、それをしないなら自分は「不幸」であると思うほどに「そうせずにはいられないこと」であった(コリントの信徒への手紙一9章16~17節)であった。それ故、これまでパウロはどのような環境の中にあっても伝道の機会を逃すまいと思って行動してきた。
 それ故、パウロが折角の良い機会を活かせなかったことを何とも思わなかったとは思えない。これはパウロがコリントの教会の状況をそれほどに気にかけていたことを示している。福音は私達に喜びと平安を与える。その喜びと平安を持続する秘訣は、他の人と真実の愛の関係を結ぶことである。福音は、私達の唇だけでなく、兄弟に対する愛の行いを通しても伝えられなければならない。福音伝道の動機は兄弟に対する愛だからである。

(2) キリストの香り(14~17節)

 主なる神は、イエス・キリストを主と信じる者を「いつもキリストの勝利の行進に連ならせ」(14節)る。キリスト者は、困難や危機に直面し、敗北しそうになることがあっても、最後には勝利する。天地万物の主権者であられる主なる神が共にいて下さり、勝利を与えて下さるからである。
 そして、主なる神はキリスト者を「通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださ」る(14節)。キリスト者は誰にとっても「キリストによって神に献げられる良い香り」(15節)である。「救いの道をたどる者」も「滅びの道をたどる者」も(15節)、キリスト者を通してイエス・キリストの福音を聞く。福音は一人の人を命の道に導く真理であり、その宣教はキリスト者にしか担えない尊い使命である。
 福音は人々を命と死に分ける。聖霊によって新たに生まれることなく、闇に留まる者に、福音は呪いを宣言する。しかし、イエス・キリストを信じ、心に迎える者は命を得る。それ故、キリストの香りは、「救われる者」にとっては「命から命に至らせる香り」であり、「滅びる者」にとっては「死から死に至らせる香り」である(16節)。
 キリストの香りはキリスト者自身の中から出てくるものではない。元来の私達は、互いに争い合い、憎み合い、虚偽と罪の中で生きる者であり、どれほど装っても悪臭・腐臭を放ち続ける者である。
「神の御前でキリストに結ばれ」、イエス・キリストだけを見上げ、愛し、生きる時、私達は「神に属する者として」キリストの香りが漂う者に変えられていく。キリスト者は、主なる神の一方的な恵みである福音に「誠実に」生き、それを宣べ伝えなければならない。「神の言葉を売り物に」して、人々から注目されようとしたり、人々の顔色を窺って曖昧に語ったりすることがあってはならない(17節)。ただイエス・キリストによって救われることこそが福音である。その福音を証ししていこう。