Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 コリントの信徒への手紙二3章1~11節

聖書研究 コリントの信徒への手紙二3章1~11節(新共同訳 新約pp.327-328)

(1) 使徒であることの証拠(1~3節)

 パウロ使徒であることを疑い、批判する者がコリントの教会にいた。彼らは推薦状のないパウロに対して偽の使徒であると攻撃した。パウロは彼らに、人の推薦状によって自分を判断するのかと問いかける(1節)。
 その上で、パウロは、コリントの教会の人々に「わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です」(2節)と述べ、彼らに自分自身を省みるように勧めた。彼らはパウロから聞いた福音を信じて救われた。もし彼らがパウロを疑うなら、彼らが救われたことも疑わしくなってしまう。真の使徒であることは、人が紙に書いた推薦状ではなく、働きの実によって確証される。これほど確かな証拠がどこにあるのかとパウロは反問する。
 更に、パウロは、コリントのキリスト者が自分の推薦状であると同時に、「キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙」(3節)であると述べている。その手紙は、イエス・キリストが「生ける神の霊によって」彼らの「心の板に、書きつけ」(3節)たものである。
 人は際立った容姿、経歴、学歴、能力などに惑わされるが、主なる神は聖霊の御業とそれによる生き方の変化を重視される。

(2) 新しい契約に仕える資格(4~5節)

 主なる神に仕える資格は「神から与えられ」(5節)るものである。主なる神に仕える者として相応しい資格と条件を完備した人は誰もいない。資格のない者がただ主の恵みによって用いられるのである。
 それ故、キリスト者は、どれほど素晴らしい働きを為したとしても、「独りで何かできるなどと思」(4節)ってはならない。世のものに欲を出さず、虚しい栄光や栄誉を求めず、ただ主なる神から与えられた豊かな命に感謝しよう。

(3) 霊に仕える務めの栄光(6~11節)

 モーセが「石に刻まれた」十戒を授かって、シナイ山から降りて来た時、主なる神の栄光によってその顔が輝いた。しかし、その光は「つかのまの栄光」で、暫くして消えた(7節)。それは旧約の栄光を象徴するものであった。
「神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました」(6節)とパウロは言う。旧約の栄光が「消え去るべきもの」であったのに対し、新約の栄光は「永続するもの」であり(11節)、「はるかに優れた栄光」(10節)である。また、律法が「人を罪に定める務め」をしたのに対し、霊に仕える務めは「人を義とする務め」であり(9節)、「なおさら栄光を帯びている」(8節)。
 福音はイエス・キリストによる新しい契約であり、永遠に栄光の内にある。そして、新しい契約は聖霊によって結ばれる。キリスト者は、主なる神の恵みによって義と認められ、人を義とする務めに励むことが出来る。その義は、イエス・キリストの義であり、主なる神によって与えられるものである。パウロはその務めがどれほど栄光に満ち溢れたものであるかを知っていた。だから、数々の苦難や誤解を受けても、大胆に福音を宣べ伝えることが出来た。