Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 コリントの信徒への手紙二4章13~18節

聖書研究 コリントの信徒への手紙二4章13~18節(新共同訳 新約pp.329-330)

(1) 私達を復活させて下さる主なる神(13~15節)

 キリスト教信仰の核心はイエス・キリストの十字架の死と復活である。私達は主なる神の恵みの故にイエス・キリストを信じることによって救われる。
 復活信仰はイエス・キリストの復活の事実に基づいている。しかし、それは、信仰の対象である三位一体の神、またその方を信じる全ての信仰者に関係している。
「主イエスを復活させた神」は、聖霊なる神を通して、イエス・キリストを信じる者をも「イエスと共に」「復活させ」、ご自分の「御前に立たせて下さる」(14節)。その意味でキリスト教神の国を相続する全ての者が共に復活に与る復活の宗教である。
 キリスト者が土の器のような姿を通して福音を伝える時、「多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになる」(15節)。

(2) 復活の希望に生きる(16~18節)

 復活の希望を持つ人は「落胆し」(16節)ない。たとえ「わたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされて」(16節)いくからである。
 イエス・キリストにおいて十字架なしに復活はなかった。同様にキリスト者も復活の栄光を受けるために苦難は不可避である。しかし、主なる神は、キリスト者のために「一時の軽い艱難」とは「比べものにならないほど重みのある永遠の栄光」(17節)を備えておられる。今直面している苦しみがどれほど辛いものであっても、復活後にもたらされる永遠の栄光と比べれば、それは一時的で小さなものでしかない。それ故、キリスト者は、苦難に遭って、暫く落胆することがあっても、主なる神を信じるが故に、勇気を回復することが出来る。
 信仰は「望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認すること」(ヘブライ人への手紙11章1節)である。キリスト者は永遠の命を与えられ、一時的なものに望みを置くことの虚しさを知っている。この世の人々のように、それらを所有することで自分の存在を証明しようとしたり、自分を他の人々と比較して抱く優越感を糧にして生きる必要はないのである。
 ダビデが苦難の中でも主なる神にのみ望みを置いていたように(詩編40編2節)、私達も苦難の中で「永遠に存続する」「見えないものに目を注」ごう。やがて「過ぎ去」る「見えるもの」に心を揺るがされず、永遠の栄光だけを求めて生きていこう(18節)。