Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 コリントの信徒への手紙二6章1~10節

聖書研究 コリントの信徒への手紙二6章1~10節(新共同訳 新約p.331)

(1) 今こそ恵みの時、救いの日(1~2節)

 イエス・キリストの来臨によって新しい契約が始まり、今私達は「恵みの時、救いの日」(2節)の只中にいる。にもかかわらず、この主なる神の恵みを受け入れない人、或いはその意味を悟れない人がいる。主なる神が恵みをどれほど豊かに注いで下さっても、それを受け入れなければ、或いは間違って受け入れるなら、全ての恵みは虚しいものになってしまう。
「神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません」(1節)とパウロは言う。恵みの時は永遠に続くわけではない。イエス・キリストは再び来られるが、それは裁き主としての来臨である。その時は救いの日ではなく、裁きの日になる。一度扉が閉ざされれば、二度と機会はない。
 また、イエス・キリストを信じた人々にはなすべきことがある。「神の協力者として」(1節)福音を一度も聞いたことのない人に福音を伝えることである。これは全てのキリスト者に与えられたイエス・キリストの重要な命令である。

(2) 無一物のようで全てのものを所有している(3~10節)

 イエス・キリストの恵みの福音を証しするという務めを任された者は、「あらゆる場合に神に仕える者としてその実を示」すことを求められる。そのためには「苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓」をも「大いなる忍耐をもって」甘受しなければならない(4~5節)。
 また、福音を伝える者は、「この奉仕の務めが非難され」ず、「どんな事にも人に罪の機会を与え」ないために(3節)、「純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、真理の言葉、神の力によって」(6~7節)それを行う必要がある。
 しかし、イエス・キリストの福音を証しすることは、患難と損だけで終わるわけではない。「悲しんでいるようで、常に喜び、貧しいようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有して」(10節)いるという神の国の基本原則が、ここでも適用される。損をしているようで益を受け、敗北しているようで勝利しているのが、神の国に仕える者の生き方である。信仰によって「最後まで耐え忍ぶ者」(マタイによる福音書24章13節)は「命をかち取」(ルカによる福音書21章19節)ることが出来る。