Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 コリントの信徒への手紙二8章1~15節

聖書研究 コリントの信徒への手紙二8章1~15節(新共同訳 新約pp.333-334)

(1) 進んでささげる献金(1~7節)

 献金は自発的な感謝と献身の表現である。ここでパウロが述べている献金は、十分の一や感謝献金ではなく、「聖なる者を助けるための慈善の業と奉仕」(4節)としての献金である。しかし、一般的な献金に対しても適用出来る原理が語られている。
 マケドニアの教会は「苦しみによる激しい試練を受けていたのに」、「人に惜しまず施す」ことにおいて彼らの献身を現した(2節)。主なる神は私達の生活が成り立たなくなるほどの献金は望まれない。それでも、マケドニアの教会は「力に応じて、また力以上に、自分から進んで」(3節)献金をした。彼らは、自分達を襲った苦難と迫害を口実にせず、苦しみにある人々のことを考え、喜んで献げたのである。また、彼らは自分達から積極的にパウロに願い出て、慈善の業に参与した。それ故、パウロは彼らについて「わたしたちの期待以上に、彼らはまず主に、次いで、神の御心にそってわたしたちにも自分自身を献げた」(5節)と称賛した。

(2) 互いに謙遜に分かち合う(8~15節)

 奉仕と宣教は主なる神の御心に従うことである。それ故、与える人が高慢になり、受ける人が卑屈になることがあってはならない。互いのゆとりが互いの欠乏を補うのである(13節)。
 パウロはコリントの教会において働く間、生活の支援を受けなかった。福音が主なる神の賜物となるために自費で宣教した。同時に、パウロは金銭的な支援の授受による伝統的な隷属関係を警戒した。当時いわゆるパトロンが自らの支援する哲学者や芸術家を思いのままにしようとする風潮があったからである。
 献金を多く献げる人が強い発言権を持ち、働き人が彼らの顔色を伺うのは間違ったことである。感謝と献身のしるしとしての献金は、主なる神の御心に従って行うものである(12節)。