聖書研究 コリントの信徒への手紙二10章1~11節(新共同訳 新約p.336)
(1) 主なる神に由来する力をもって戦う(1~6節)
パウロの敵対者は彼に対して「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」(10節)と非難した。しかし、パウロはイエス・キリストに倣って、自分を低くし、主のように謙って仕えた。
パウロはキリスト者の武器は「肉のものではなく、神に由来する力」(4節)であることを知った。それ故、彼は「神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ」(5節)ることを願った。
イエス・キリストはこの世の基準で見る時には失敗者である。弟子達もイエス・キリストを捨てた。しかし、復活されたイエスは、弟子達を再び召され、使命を与え、教会の指導者として立てられた。パウロも高慢な者が主に立ち返り、従うことを願った。
(2) キリストのものとされたパウロ(7~11節)
「キリストのもの」(7節)とされた人間は、主から権威を授けられ(8節)、主なる神の働きを信じて行動するため、サタンとその勢力に従うこの世の人間の業や攻撃に巻きこまれない。
パウロに敵対する人々は彼の外見と話しぶりを攻撃した(10節)。しかし、それらはパウロにとって主なる神の働きをするための力となった。弱々しく見える外見に対する攻撃にも自分を弁護しないパウロの姿勢は、教会を「造り上げ」、回復させる上で障害にはならなかった(8節)。
主なる神の御前に誠実に生きる人々は、この世のお金、名誉、或いは欲にも簡単には揺るがない。何故なら、その人の関心と生活の方向性は、主なる神と主を信じる民に向けられているからである。