Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 コリントの信徒への手紙二10章12~18節

聖書研究 コリントの信徒への手紙二10章12~18節(新共同訳 新約pp.336-337)

(1) 限度を越えて誇らない(12~14節)

 キリスト者は自分ではなく福音を誇るべきである。パウロの敵対者は、自分自身を基準にして、上辺に見える肉的な条件によって自分を推薦したり、「仲間同士で評価し合い、比較し合って」いた(12節)。これは見えるものの虚しさを知らないことから来ていた。そのためパウロは彼らの行為を「愚かなこと」(12節)と評し、「わたしたちは限度を超えては誇ら」(13節)ないと言った。
 パウロにとって誇りの基準は、目に見える肉的な手段、即ち推薦状や地位のようなものではなかった。彼が誇りの基準として挙げた「限度」(14節)とは、「神が割り当ててくださった範囲内」(13節)を意味する。パウロは決して他人と自分を比較せず、全ての実を主なる神が下さった恵みの賜物と考えた。もし私達が誇るなら、主なる神の基準に従って、イエス・キリストの福音を誇ろう。

(2) 主から推薦される人(15~18節)

 パウロはコリントのキリスト者に「誇る者は主を誇れ」(17節)と勧め、自分は「他の人々の領域で成し遂げられた活動を誇らない」(16節)と語った。これはパウロが労苦して建てたコリントの教会に敵対者が入って来て、自分達の業績であるかのように誇ったことを暗示している。
 しかし、パウロは、「自己推薦する者ではなく、主から推薦される人こそ、適格者として受け入れられる」(18節)ことをよく知っていた。それ故、彼は、多くの非難があるにもかかわらず、主なる神からの推薦を仰ぎ見つつ、コリントのキリスト者の「信仰が成長」すること、コリントを越えて「他の地域にまで福音が告げ知らされるようになる」ことを願って邁進した(15節)。
 肉の条件を掲げて自分を誇ることは、主なる神ではなく自分を愛する者の空威張りに過ぎない。私達は、主なる神に推薦され、主なる神に受け入れられることを願って、委ねられた使命に最善を尽くすべきである。