Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 コリントの信徒への手紙二11章1~15節

聖書研究 コリントの信徒への手紙二11章1~15節(新共同訳 新約pp.337-338)

(1) 真の使徒と偽の使徒(1~6節)

 コリントのキリスト者に対して「神が抱いておられる熱い思い」(2節)を、パウロも抱いていた。それは彼らを「純潔な処女」(2節)として、花婿であるイエス・キリストに導く仲人の役割を全うするためであった。
 一方、偽の使徒達は、エバを欺いた蛇のように(3節)、「異なったイエス」、「違った霊」、「違った福音」を伝え(4節)、コリントの教会の人々を「キリストに対する真心と純潔」(3節)を捨てるように惑わした。不幸にもコリントのキリスト者は偽使徒達の主張を受け入れ、パウロを退けるに到った。
 パウロは、「話し振りは素人」という彼らの非難を認めながらも、「知識はそうではない」(6節)と言う。ここで言われている「知識」とは花婿であるイエス・キリストについての知識である。これによって、パウロは他のどの使徒と比較しても「少しも引けは取らない」(5節)自分の使徒権を主張した。真の使徒は、正しい知識、福音の真理を伝え、人々をイエス・キリストに導く者である。

(2) パウロの献身と愛(7~15節)

 パウロはコリントのキリスト者に「神の福音を無報酬で告げ知らせた」(7節)。「生活に不自由したとき」にも彼らの代わりに「マケドニア州から来た兄弟たち」がパウロの「必要を満たしてくれた」(9節)。
 これは、パウロ使徒としての資格に問題があるとか、コリントのキリスト者を愛していないからではなく(11節)、寧ろ彼らを愛し、「何事においても」彼らに「負担をかけないように」するためであった(9節)。パウロは、その愛を人々から疑われても、「神がご存じ」(11節)であるという確信を持って揺るがされず、主なる神だけを仰いで自分の態度を保った。
「サタンに仕える者たち」は、「義に仕える者を装」っても、最後は「自分たちの業に応じた」裁きを受ける(15節)。真の義の僕は、愛の労苦を厭わず、最後までその務めを果たす。