Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 コリントの信徒への手紙二11章16~33節

聖書研究 コリントの信徒への手紙二11章16~33節(新共同訳 新約pp.338-339)

(1) 柔和と謙遜(16~21節)

 パウロは、敵対者が「肉に従って誇っている」(18節)ように、「愚か者になったつもりで」(21節)「少し誇」(16節)ってみせた。しかし、彼が精一杯誇ったことは、自分の羞恥と不名誉であった。パウロは更に謙り、弱い姿を見せた(22~30節)。「愚か者のように誇れると確信して話す」(17節)時、パウロは自分をより低い場所に投げ出すのである。
 このようなパウロの姿は、かつて自分の義に凝り固まってステファノを石で打とうとした姿とは対照的であり(使徒言行録7章58節)、主に似た姿である。謙遜と柔和の前に高慢は有り得ない。
 パウロは自分の強みではなく、弱みを敢えて誇ることで、コリントの教会に広まっていた愚かな誇りと競争の心理を断つことを願った。

(2) 使命がある人生(22~27節)

 目的が明らかな人生は美しいものである。私達は過去を振り返る時、波乱万丈の経験を冒険話のように語ることがある。その話に笑ったり、感嘆したりもするが、過ぎ去った人生に何の目的もないのなら、非常に虚しいものである。パウロが列挙した全ての逆境も、そのように聞くことが出来る。彼の人生がどうしてそこまで苦しく、数奇に満ちたものかと問い返すことも出来る。
 しかし、パウロの苦難が「キリストに仕える者」(23節)としての苦難であることを知るなら、福音伝道の使命と、その使命を任されたイエス・キリストを思わずにはいられない。今日も多くの人がイエス・キリストの御名の故に侮辱を受けつつも、苦難を顧みることなく、その道に進んでいる。それを見る時、イエス・キリストという御方の驚くべき尊さを感じずにはいられない。

(3) 誇る方法(28~33節)

 私達の弱さは主なる神の御力を現す道具となる。偽使徒がその逆境をどれほど英雄的に勝ち抜いたかを誇ったとすれば、パウロはそのような逆境の中で、自分がいかに惨めであったかを誇った(30節)。
 当時、城壁をよじ登り、最初に突破口を開いた兵士には賞が与えられたと言われている。しかし、パウロは卑怯者のように「窓から籠で城壁づたいにつり降ろされて」(33節)城の外にこっそりと逃げなければならなかった。これはパウロの人生において最も弱さを表す時の一つだったことだろう。
 だが、パウロは、自分が遭った苦難と試練を告白することで、「主イエスの父である神、永遠にほめたたえられるべき方」(31節)が自分の弱さを通して、どのように働かれたかを表した。また、パウロは弱っている人々を憐れむ心を持つ(29節)、イエス・キリストの真実な働き人であった。