Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 コリントの信徒への手紙二12章1~10節

聖書研究 コリントの信徒への手紙二12章1~10節(新共同訳 新約pp.339-340)

(1) 弱さを誇る(1~7節)

 パウロには肉的に誇れるものが多くあっただけでなく、霊的にも誇ることの出来る経験を数多くしていた。彼は自分の経験をまるで他人事のように3人称で伝えている(2~4節)。それは、客観的に語るため、或いは彼自身が「体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです」(2節、3節)と繰り返し述べているように、自分が経験したことに対する実感が十分になかったためだろう。パウロの幻と啓示は、彼が描写した以上は知ることが出来ず、また想像する必要もない。
 パウロの霊的な経験は他の人に引けを取らないが、それよりも重要なことがある。パウロは「自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません」(5節)と述べ、自分の霊的経験ではなく弱さを誇った。学歴、家柄、霊的体験などは、彼の誇りとはならなかった。

(2) 弱さに臨んだ恵み(8~10節)

 パウロは自分の素晴らしい霊的経験に続いて、自分の肉体の「とげ」について語った(7節)。それが何であるかは正確には分からない。肉体的な病かも知れないし、彼を絶えず苦しめる敵対者かも知れない。それが何であれ、その「とげ」はパウロを苦しめた。
 立派な家門、秀でた知識、深い霊的体験にもかかわらず、パウロは苦痛に悩まされた。そして、苦痛を「離れ去らせてくださるように」と「三度」願ったが(8節)、主なる神は彼の祈りを聞かれなかった。パウロの苦痛、即ち「弱さの中でこそ」主なる神の力は「十分に発揮される」からである(9節)。
 パウロは、「弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態」(10節)のおかげで、主なる神の溢れる恵みを体験した。そして、自分が「弱い時ときにこそ」、却って主なる神の力が強くなることを学んだ。私達にとって弱さは普通恐れに繋がる。しかし、キリスト者にとっては、弱さは主なる神の強さを経験する管となる。