Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 コリントの信徒への手紙二13章1~13節

聖書研究 コリントの信徒への手紙二13章1~13節(新共同訳 新約p.341)

(1) イエス・キリストに結ばれた者として(1~5節)

 パウロは、罪を悔い改めない人々、パウロ使徒としての権威を疑う人々に厳しく警告する。しかし、「今度そちらに行ったら、容赦しません」(2節)と言った時、パウロは、コリントのキリスト者が悔い改め、癒されることを心から願っていた。パウロは、彼らに「信仰を持って生き」、イエス・キリストが彼らの内におられることを知るよう求めた(5節)。

(2) 完全な者となるために(6~10節)

 パウロは自分が「失格者」ではなく(6節)、主にあって立てられた者であることを再び強調する。彼が様々な苦難に遭って「失格者」のように「見えようとも」、それはコリントのキリスト者が「どんな悪も行わ」ず、「善を行う」ようになるためであった(7節)。
 パウロは、今度コリントを訪れた時、「厳しい態度をとらなくても済むように」(10節)、彼らが肉的な基準に揺るがされず、信仰に堅く立ち、「完全な者になること」を祈り求めた(9節)。主の内にいる人だけが命に与ることが出来るからである。コリントのキリスト者が主の御心通りに生きることを願う時、パウロは諦めることを知らなかった。

(3) 愛と平和の神が共にいて下さる(11~13節)

 パウロは終始一貫して強い語調で語り続けてきたが、最後の挨拶には切なる心がこもっている。パウロは彼らがイエス・キリストにあって心から「喜び」、「完全な者になり」、「励まし合い」、「思いを一つにし」て、「平和を保」つことを願った(11節)。そして、コリント教会の「愛と平和」(11節)のために「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わり」(13節)を求めた。これは単なる形式的な挨拶ではない。三位一体の神だけが彼らに喜びと完全さと励ましと平和を与えて下さるからである。