Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 ヨハネによる福音書12章20~36節

聖書研究 ヨハネによる福音書12章20~36節(新共同訳 新約pp.192-193)

(1) ギリシア人、イエス・キリストに会いに来る(20~26節)

「救いはユダヤ人から来る」(4章22節)が、この救いは全人類のためのものである。「何人かのギリシア人」(20節)が「イエスにお目にかかりたいのです」(21節)と願うと、イエス・キリストは「人の子が栄光を受ける時」(23節)、即ち十字架の死と復活によって主なる神の栄光を受ける時が来たと告げられた。イエス・キリストはご自分の救いの御業が異邦人を含む人類全体のためであることを宣言されたのである。
「一粒の麦」が「地に落ちて死」ぬことによって「多くの実を結ぶ」自然の法則は(24節)、全世界を贖われる主なる神の法則を映し出している。救済史の中心には一粒の麦となられたイエス・キリストの十字架の贖いの死がある。イエス・キリストはご自分の全ての教えをその生涯において実践され、救いを完成された。
 同じように、イエス・キリストに「仕えようとする者」は、イエス・キリストが歩まれた道に従わなければならない。喜んでイエス・キリストに仕え、その道を歩む人々を、天の父は「大切にしてくださ」り、永遠の命と栄光をもって報いて下さる(26節)。

(2) 人の子は上げられる(27~36節)

 イエス・キリストが選ばれた道は苦しみの道であった(27節)。イエス・キリストは辛い思いで天の父に祈られた(ヘブライ人への手紙5章7節)。しかし、同時にそれは最も栄光に満ちた道であった(28節)。イエス・キリストが十字架で死なれることにより、世の救いが成し遂げられるのである(33節)。
 主なる神の救いのご計画は人間には理解出来ない神秘である(34節)。苦しみと栄光が共にあり、死と永遠の命が繋がり、救いと裁きのための選択権が与えられる(31節)。イエス・キリストは、ご自分にとっては最も苦しいことでも、全ての人のために十字架の死を選ばれた。その死を通して、私達が救いを得る道、「暗闇の中を歩く者」(35節)が「光の子となる」祝福の道を開かれた。私達がこの道を選ぶのは、「光のあるうち」だけ可能であることを覚えよう(36節)。