Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 ヨハネによる福音書13章1~11節

聖書研究 ヨハネによる福音書13章1~11節(新共同訳 新約p.194)

(1) 足を洗われる愛(1~5節)

 イエス・キリストは、死を前にして、弟子達の足を洗われた(5節)。それはこの世の常識を超えた驚くべき愛であった。当時足を洗うことは、主人がすることではなく、僕がする卑しいことであった。イエス・キリストは、僕の姿で弟子達の足を洗われ、この世と全く異なる神の愛を示して下さったのである(1節)。
 ところが、偉大な愛が実践される場所でも、悪が芽を出していた。悪魔が「イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた」(2節)のである。イエス・キリストは僕の位置まで謙って仕える愛を示されたが、悪魔はその愛を裏切り、踏み躙るように唆した。
 しかし、イエス・キリストの愛はそのような裏切りによって挫折しない。イエス・キリストは裏切りを心に抱くイスカリオテのユダの足までも洗われた。

(2) ペトロの反応(6~11節)

 弟子達は自分達の足を洗われるイエス・キリストの行動が理解出来なかった。特にペトロは強い拒否感を表し(6節)、イエス・キリストの御手を断固として拒んだ(8節)。この世の上下関係に基づいて、イエス・キリストと自分の関係を考えた結果である。
 すると、イエス・キリストは「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」(8節)と言われた。その言葉に驚いたペトロは、「主よ、足だけでなく、手も頭も」(9節)と言った。イエス・キリストに対するペトロの純粋な情熱が窺える。しかし、彼はまだイエス・キリストと自分の関係について十分理解出来ていない状態であった。
 イエス・キリストはそのようなペトロに、イスカリオテのユダを除く(11節)、全ての弟子が「既に体を洗った者」、「全身清い」者であると言われた(10節)。イエス・キリストの愛と贖いの恵みが主に従う人々を洗い清めて下さったのである。