Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 マタイによる福音書26章31~46節

聖書研究 マタイによる福音書26章31~46節(新共同訳 新約pp.53-54)

(1) ペトロの離反を予告する(31~35節)

 人間は危機の前では弱い存在である。イエス・キリストは、新しい契約を約束されたその日の夜(28節)、弟子達全員がご自分を捨てるだろうと語られた(31節、ゼカリヤ書13章7節)。
 血気の多いペトロは、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」(33節)と断言した。しかし、この少し後、彼は自分の命のために逃げ出し(56節)、イエス・キリストを知らないと3度言った(69~75節)。主と共に死んでもいいと言っていた弟子達も(35節)、イエス・キリストが捕えられると逃げてしまった。柔らかいものよりも堅いものの方が壊れ易いものである。高慢に断言するより、自分の弱い信仰と意志を主が捉えて下さり、導いて下さるよう求めなければならない。
「わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」(32節)というイエス・キリストの言葉は、弟子達とガリラヤで再び会い、弱い弟子達をもう一度愛をもって抱かれる主の御心を表している。

(2) ゲツセマネで祈る(36~46節)

 十字架の重さは、人類の過去、現在、未来の全ての罪の重さである。十字架と死は、新しい契約の成就のために必ず通らなければならない過程であった(42節)。
 イエス・キリストは「わたしは死ぬばかりに悲しい」(38節)とご自分の苦しい心情を吐露し、弟子達に「ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい」(38節)、「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい」(41節)と執り成しの祈りを頼み、「うつ伏せにな」って切に祈られた(39節)。
 イエス・キリストは、苦しい中にあっても「わたしの願いどおりではなく、御心のままに」(39節)、「あなたの御心が行われますように」(42節)と祈られた。天の父の御心に従うことが最も賢い選択だからである。
 しかし、弟子達は目を覚まして祈っていることが出来なかった(40節、43節、45節)。聖霊の助けによって目を覚まして祈ることに力を注ぎ、主なる神に拠り頼まないなら、肉体は更に弱くなり、試みに遭う。祈りはキリスト者の呼吸であり、命である。祈りの場に出て行くなら、試みに打ち勝つ心の力を得ることが出来る。