Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 マルコによる福音書15章24~32節

聖書研究 マルコによる福音書15章24~32節(新共同訳 新約pp.95-96)

(1) 十字架につけられたイエス・キリスト(24~28節)

 イエス・キリストは不当な十字架刑を全面的に受け入れられた。手と足に釘を打たれ、何の抵抗もすることなく十字架につけられた。
 ローマ帝国の兵士達はイエス・キリストの服を取って少しでも利益を得ようとくじ引きをした(24節)。イエス・キリストの頭上には「ユダヤ人の王」という罪状書きが付けられた(26節)。これはイエス・キリストローマ帝国に対する反逆罪で処刑されることを告げ知らせるものであった。また、重罪を犯した2人の強盗が、罪のないイエス・キリストの左右に並んで十字架につけられた(27節)。
 イエス・キリストの十字架は、最初から最後まで矛盾と間違いの連続で、いかなる正当性も見出すことが出来ない。しかし、神の御子イエス・キリストは黙々と従い、耐え忍ばれることによって、主なる神の救いのご計画を成し遂げられた。

(2) 嘲りと罵りを受けるイエス・キリスト(29~32節)

 邪な人々は十字架につけられたイエス・キリストを見て、胸を痛めたり憐れんだりするのではなく、嘲りと怒りを表した。彼らは、自分達の判断が正しかったと錯覚し、イエス・キリストの人格や働きを全て否定した。
 或る人々は「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者」(29節)と言い、「十字架から降りて自分を救ってみろ」と罵った。祭司長や律法学者は、「他人は救ったのに、自分は救えない」(31節)と嘲り、「メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう」(32節)と非難した。一緒に十字架につけられた強盗までがイエス・キリストを罵った(32節)。
 しかし、人間の無知や妬み、残忍さの中でも、主なる神の救いの御業は成し遂げられた。どれほど極悪な人間の罪でも、神の愛を無効にすることは出来ない。