Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 イザヤ書40章18~31節

聖書研究 イザヤ書40章18~31節(新共同訳 旧約p.1125)

(1) 偶像と創造主なる神(18~26節)

 偶像は人間が作ったものに過ぎない。「偶像を鋳て造り/金箔を作ってかぶせ、銀の鎖を付ける」(19節)のも、偶像が揺れ動かないように据え付けるのも人間である(20節)。
 そして、天と地を創造し、「地を覆う大空の上にある御座」に座しておられる主なる神に比べれば、地に住む人間は「虫けらに等しい」存在に過ぎない(21~22節)。「諸侯」や「地を治める者」として高い権威を与えられていても(23節)、主なる神が風を吹きつけられれば、藁が嵐によって散らされるように(24節)、「無に等しいもの」、「うつろなもの」とされる(23節)。
 だから、人間が作った偶像と人間を創った主なる神を比べるというのは、到底あり得ないことである。人間が作った偶像に込められているものは人間の世界観に過ぎず、創造主なる神の世界観ではない(18節、25節)。
「目を高く上げ、誰が天の万象を創造したかを見よ」(26節)とイザヤは語る。この言葉は主なる神がどのような方であられるかを明確に示している。創造主なる神を正しく知るならば、主なる神と偶像を比較する愚かさを避けることが出来る。

(2) 新たな力を得る秘訣(27~31節)

 主なる神は「とこしえにいます神/地の果てに及ぶすべてのものの造り主」(28節)である。この世で主なる神の創造の御手が及ばない所はない。また、主なる神は、ご自身が創造されたものを全て知っておられ、その事情を一つも忘れることがない。
 それ故、イスラエルがバビロンの捕囚となったことも主なる神の無力の故ではない。神の民イスラエルは、主なる神が自分達の状況を知らず、自分達の無念な思いを顧みて下さらないなどと呟いてはならず(27節)、創造主なる神をどこまでも信頼し、仰がなければならなかった。
 私達が主なる神に「望みをおく」時、「新たな力を得」ることが出来る(31節)。どれほど若く力に満ちた人でも、休むことがなければ疲れ果ててしまう(30節)。しかし、主なる神は、「倦むことなく、疲れることなく/その英知は究めがたい」(28節)方であり、「疲れた者に力を与え/勢いを失っている者に大きな力を与え」(29節)る方である。この御方が力を下さるならば、「走っても弱ることなく、歩いても疲れ」(31節)ることはない。「鷲のように翼を張って」(31節)大空を羽ばたくことが出来る。