Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 イザヤ書41章14~20節

聖書研究 イザヤ書41章14~20節(新共同訳 旧約pp.1126-1127)

(1) イスラエルの聖なる神(14~16節)

 主なる神はイスラエルに、ご自分が「あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神」(14節)であると紹介された。イスラエルの人々がバビロンからエルサレムに帰還する時、主なる神が約束された贖いは成就する。
 しかし、「新しく、鋭く、多くの刃をつけた打穀機」が「山々を踏み砕き、丘をもみ殻とする」ように、イスラエルが主なる神によって諸国を裁く道具とされるという預言は(15節)、彼らがバビロンから帰還してすぐには成就されなかった。それはバビロンという世、即ち罪の支配の下にあった世から自由になった人に与えられる約束である。
 イエス・キリストが世を裁かれる時、イエス・キリストの内に留まり続けた人々はその裁きの座に共に加えられる(マタイによる福音書19章28節、ヨハネの黙示録2章25~27節)。そこで神の民は「主によって喜び躍り/イスラエルの聖なる神によって誇る」(16節)ことになる。

(2) 贖いと新しい創造(17~20節)

 主なる神の救いは古いものに手を加えることではない。主なる神がその御手をもって全く新しいものを創造することである(20節)。主なる神は、古いイスラエルを徹底的に裁き、新たに始めるという決心を、イザヤを預言者として召された時から明確にされていた(6章9~13節)。
 捕囚としてバビロンにいたイスラエルは、「水を求めても得ず/渇きに舌は干上がる」ほど、「苦しむ人、貧しい人」であった(17節)。しかし、主は「イスラエルの神であるわたしは彼らを見捨てない」(17節)とお答えになり、「不毛の高原に大河を開き/谷あいの野に泉を湧き出させ」、「荒れ野を湖とし/乾いた砂漠の地を水の源とする」と言われ(18節)、渇いた彼らを養うことを宣言された。そして、「荒れ野に杉やアカシヤを/ミルトスやオリーブの木を植え/荒れ地に糸杉、樅、つげの木を共に茂らせる」(19節)と言われた。このように主なる神の救いは新しい創造によって現れる。