Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 イザヤ書41章21~29節

聖書研究 イザヤ書41章21~29節(新共同訳 旧約pp.1127-1128)

(1) 無に等しい偶像(21~24節)

 主なる神は繰り返し偶像を嘲弄される。それは驚くべき贖いの計画を宣言された後により顕著になった。偶像への嘲弄は、民の目を覆い、耳を塞いだ偶像に対する主なる神の怒りの表れである。
 主なる神は「ヤコブの王」(21節)として、ヤコブの子孫であるイスラエルの歴史において自ら御業を行い、その歴史を解釈することによって、イスラエルの神であられることを証明された。
 一方、偶像は未来について何も言えない。過去に起きたことが現在や未来とどのように関連しているかを解釈することも出来ない(22節)。祝福や呪いをもたらすことも出来ない(23節)。偶像は「無に等し」(24節)い存在である。
 それ故、主なる神は無に等しい偶像を崇拝する者について「忌むべき者」(24節)と言われた。偶像に仕え、それに自分の人生を委ねる者は、どれほど愚かな存在だろうか。

(2) 歴史の唯一の主権者(25~29節)

 主なる神は、ペルシアの王キュロスを通してバビロンを裁き、イスラエルを救う計画を前もって語られる(26節)。ペルシアはイスラエルの東方にある国である(2節)。しかし、彼らが北方から下って来るため、「北から人を奮い立たせ、彼は来る」(25節)と表現されている。
 キュロスはイスラエルの帰還を許諾する文書に主の御名を用いている(エズラ記1章1~2節)。このような計画に対し、偶像は何も言えなかった(26節)。主なる神がご計画を告げられる時、イスラエルの人々は初めて悟ることが出来る。主なる神が「エルサレムに良い知らせを伝える者を遣わ」(27節)される時、イスラエルの人々は喜びの知らせを初めて聞くことが出来る。
 世の計略を立てる者は、良い知らせを伝える者を遣わすことは勿論、イスラエルの贖いについて問われても、何の応答も助言も出来ない(28節)。主なる神は誰も思いもよらないことをされる。福音、即ち良い知らせはただ主なる神から来る。