Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 イザヤ書42章1~9節

聖書研究 イザヤ書42章1~9節(新共同訳 旧約p.1128)

(1) 国々の裁きを導き出す主の僕(1~4節)

 主なる神の裁きは主が本来意図された正しい秩序の回復をもたらす。ペルシアの王キュロスを通してイスラエルがバビロンの圧制から解放されたことも主なる神の裁きである。しかし、主なる神が実現しようとされる正義は更に大きなものである。それは、主の僕が「国々の裁き」を行い、全世界において神の義を打ち立てることである(1節)。
 主の僕は、主なる神が「支える者」、主なる神が「選び、喜び迎える者」、主なる神の霊を受けた者である(1節)。マタイによる福音書12章18~21節では、主の僕に関するイザヤの預言がイエス・キリストにおいて成就したことが記されている。主の僕として来られたイエス・キリストは、「叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせ」(2節)ず、柔和に、謙遜に、真実に正義を行われる。また、イエス・キリストは「傷ついた葦を折ること」、「暗くなってゆく灯心を消すこと」なく、命を愛し、弱い者を大切にされる。一方、イエス・キリストは、敵に苦しめられることがあっても、「この地に裁きを置くときまで」(4節)決して諦めない。そのような主の僕の働きによって、これまで偶像に仕えていた人々も「彼の教えを待ち望む」(4節)ようになる。

(2) 民の契約、諸国の光(5~9節)

 主なる神は「天を創造して、これを広げ/地とそこに生ずるものを繰り広げ/その上に住む人々に息を与え/そこを歩く者に霊を与えられ」(5節)た。この方が地に正義をもたらすために僕を召された。
 主なる神は「見ることのできない目を開き/捕らわれ人をその枷から/闇に住む人をその牢獄から救い出すために」(7節)、この僕を「民の契約、諸国の光」(6節)とされた。偶像に仕えていた異邦の国々も主の僕によって主なる神に立ち返る。彼らは偶像を捨て、主なる神に栄光を帰すようになる(8節)。
 イザヤの預言通り、主なる神はペルシアの王キュロスを用いてバビロンに対する裁きを行われた。そして、今も主なる神はイエス・キリストを通して、新しいことを告げ、御業を進めておられる(9節)。