Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 イザヤ書47章1~7節

聖書研究 イザヤ書47章1~7節(新共同訳 旧約pp.1138-1139)

(1) バビロンが受ける恥(1~4節)

 バビロンの滅亡が比喩的に表現されている。一時期栄華を極めたバビロンは「柔らかでぜいたくな娘」(1節)のようであった。それに対し、滅亡するバビロンは、「王座を離れ」て、「地に座」る娘、「石臼を取って粉をひ」く女奴隷、「ベール」を取り去られ、淑女としての待遇を受けられない女性、娼婦のように「衣の裾をたくし上げ/すねをあらわにして川を渡」るしかない女性に喩えられている(1~2節)。ほめたたえられていた美しい女性が「裸にされ、恥はあらわになる」という比喩は、バビロンが受けた辱めを示している(3節)。
 このような恥辱はイスラエルの「贖い主」にして、「万軍の主」である「聖なる神」が行われた裁きの結果である(4節)。神の民を虐げる人間は、強く見えても最終的には恥を受けて、惨めに倒れてしまう。

(2) 驕り高ぶるバビロンの転落(5~7節)

 滅亡したバビロンの姿は、戦争に敗れた後、征服者の前に立って判決を待つ捕虜のようであった。征服者である主なる神は、バビロンに対し「闇の中に入れ」られる刑罰、即ち「諸国の女王と呼ばれることは二度とない」という極刑を宣告した(5節)。バビロンが主なる神の道具に過ぎないという自分の立場を忘れ、「わたしは永遠に女王だ」(7節)と傲慢になり、イスラエルに「憐れみをかけず」、無慈悲に抑圧したからである(6節)。
 主なる神はバビロンを一時的に用いてイスラエルを懲らしめた(6節)。しかし、イスラエルの代わりにバビロンを選んだり、義とすることは決してなかった。バビロンは、主なる神がイスラエルを懲らしめた後、彼らを再び回復させることを全く予想していなかった(7節)。バビロンはイスラエルの敗北が永遠の滅亡であり、自分達の勝利が永遠の繁栄であると錯覚していた。