Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 イザヤ書47章8~15節

聖書研究 イザヤ書47章8~15節(新共同訳 旧約pp.1139-1140)

(1) バビロンの高慢と破滅(8~11節)

 バビロンは安全と平安と繁栄と栄華を思う存分享受してきた。政治、軍事、外交、経済など、あらゆる面において何の危険も困難もなかった(8節)。そのため、敵を意識する必要すらなかった。仮に予想外の問題が起きたとしても、呪術師の力でいくらでも防ぐことが出来ると楽観していた(9節)。また、発展した文化がバビロンを更に繁栄させると信じていた(10節)。
 その結果、バビロンは「わたしだけ/わたしのほかにはだれもいない」(8節、10節)と高慢になった。そして、この世界を導かれる主なる神を意識することがなかった。彼らは、主なる神の言葉を意に介さず、「平然と悪事をし」(10節)てきた。
 しかし、そのようなバビロンに「思いもかけない時、突然、破滅」(11節)が襲う。彼らが予想出来なかったからと言って、主なる神の裁きがないわけではない。「どれほど呪文を唱え/どれほど強いまじないをしても」、高慢なバビロンに対して主なる神の裁きが臨む。「子を失いやもめとなる苦しみ」が彼らに「一日のうちに、瞬く間に」起こる日が訪れる(9節)。

(2) 避けられない裁き(12~15節)

 主なる神が裁かれる時、バビロンはこれまで頼ってきた全ての安全装置が無用の長物であったとはっきりと確認することになる。
「まじないと呪文の数々」は、バビロンに降りかかる災難を払い除けることは出来ない(12節)。問題解決のための「助言」も「多すぎて」、却って状況を混乱させてしまう(13節)。「天にしるしを見る者、星によって占う者/新月によって」バビロンの「運命を告げる者」は、バビロンの状況を何とか変えようと努力するが、何の役にも立たない(13節)。長い間バビロンを支えてきた人々は、バビロンに救いをもたらすどころか(15節)、「自分の命を救い出」(14節)すことさえ出来ない。
 このように、主なる神が裁かれる時、バビロンは為す術もなく、見捨てられた状態になるしかない。