Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 イザヤ書49章1~13節

聖書研究 イザヤ書49章1~13節(新共同訳 旧約pp.1142-1143)

(1) 主の僕の使命(1~7節)

 主の僕は「母の胎にある」(1節)時から主なる神によって選ばれ、「主の御目」に「重んじられている」者である(5節)。彼は「鋭い剣」と「尖らせた矢」のように敵を倒して勝利し(2節)、主なる神の栄光を現す。
 主なる神が彼を「あなたはわたしの僕、イスラエル」(3節)と呼んでいるのは、僕がイスラエルを代表する者であることを示している。主の僕は主なる神の力を受け、イスラエルを再び回復させ、「イスラエルの残りの者」を帰還させる。彼は「国々の光」として立てられ、主なる神の「救いを地の果てまで、もたらす」(6節)。
 主の僕の労苦は暫くの間、空しいもののように見え(4節)、彼は「人に侮られ、国々に忌むべき者とされ」(7節)る。しかし、最終的には全ての人、全ての国々から礼拝されるようになる(7節)。「王たちは見て立ち上がり、君侯はひれ伏す。真実にいますイスラエルの聖なる神、主が/あなたを選ばれたのを見て」(6節)。
 主の僕とは全ての民が礼拝し、讃美すべき御方、イエス・キリストである。

(2) 主の恵みの時、救いの日(8~13節)

「恵みの時」「救いの日」(8節)とは、ヨベルの年や出エジプトがそうであったように、「主が恵みをお与えになる年/わたしたちの神が報復される日」(61章2節)である。それは嘆くご自分の民に主なる神が応答される解放と喜びの日、救いと回復の日である。
 出エジプトの後、主なる神はカナンに向かうイスラエルの民に必要なものを全て与え、あらゆる危険から守られた。同じように、バビロンから帰還するイスラエルのためにも主なる神はそのようにして下さる(9~10節)。
 イスラエルの帰還は、戦争の捕虜が収容所からやっとの思いで生きて戻って来るようなものではない。主なる神が「すべての山に道をひらき/広い道を高く通す」(11節)ため、各地に散らされていた民は何の妨げもなく「北から、西から/またシニムの地から」(12節)大路を通って戻って来る(43章5~6節)。
 それ故、主なる神は「天よ、喜び歌え、地よ、喜び躍れ。山々よ、歓声をあげよ」(13節)と命じている。主なる神が「御自分の民を慰め/その貧しい人々を憐れんでくださった」(13節)からである。主なる神は慈しみと憐れみをもって救いの御業を成就される。