Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 イザヤ書51章1~11節

聖書研究 イザヤ書51章1~11節(新共同訳 旧約pp.1146-1147)

(1) 希望の根拠(1~3節)

 主なる神は「正しさを求める人/主を尋ね求める人」(1節)に希望を与えて下さる。彼らの置かれていた状況は「荒れ野」や「荒れ地」のように回復が不可能に見えた(3節)、。しかし、主なる神は、砂漠や荒れ野のように荒れ果てたエルサレムを回復させ、命の溢れる「エデンの園」のようにすると語られた。そして、エルサレムに「喜びと楽しみ、感謝の歌声が響く」ようになると宣言された(3節)。
 その上で、主なる神は彼らを完全に回復させることの出来る根拠を示された。主なる神が「ひとりであった」アブラハムを「祝福して子孫を増やし」、イスラエル民族を生み出されたことがその根拠である(2節)。
 イスラエルはその起源から主なる神の素晴らしい御業によって力を受けてきた。それ故、神の民はいかなる状況に置かれても希望を失うことはない。

(2) 正義と救い(4~11節)

「教え」と「正義」と「救い」という表現が繰り返し使われている(4~8節)。主なる神の「教え」は正しい判断を示している。そして、その結果は主なる神の「裁き」(4節)と「恵みの業」(6節、8節)として現れる。だから、「正義」と「救い」はコインの裏表のようなものである。
 主なる神は、律法に従ってバビロンを裁くことによって「正義」を実現し、ご自分の民であるイスラエルを救い出される(5節)。そして、主なる神の「救いはとこしえに続き」、その「恵みの業が絶えることはない」(6節)。それ故、主なる神は「人に嘲られることを恐れるな。ののしられてもおののくな」(7節)とイスラエルを励ました。
 また、主の僕は主なる神にこのことが早く実現するように求めている。かつて主なる神は、出エジプトの時、エジプトを打ち、葦の海を分け、イスラエルを救われた(10節)。同じように、バビロンを打ってイスラエルを救って下さるよう、主の僕は祈った。その上で、主の僕は、「主に贖われた人々」が「帰って来て/喜びの歌をうたいながらシオンに入る」というやがて実現する救いの出来事を予め見て(11節)、主なる神に讃美を献げた。